本尊地蔵菩薩坐像をお祀りしています。
1647年に増上寺から移築されたものとは知らなんだわ地蔵菩薩が祀られる仏殿も菩薩も大変年季が入っており大規模修繕が必要に感じられたここまで歴史を感じうる仏殿は鎌倉で唯一無二ではなかろうか。
建長寺拝観料500払い山門くぐり少し行った所建物は1647年増上寺より移築、本尊は地蔵菩薩坐像2
山門を通り仏殿を仰ぎ見ながら中を拝見するとタイムスリップしたみたいな感覚を感じました。
目の前に鎮座した仏像の大きさと威厳に圧倒されました。
夕方になると扉を締められて拝見出来なくなるので早めに拝見しておく事をお薦め致します。
建長寺創建当初の仏殿は、左右に土地堂と祖師堂を従えたものだった。
現在の仏殿は、1647年、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人の御霊屋が移築されたもの(1628年の建築物・国重要文化財)。
崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方。
仏殿の他、方丈の正門であった唐門(勅使門)と西来庵の中門も崇源院の御霊屋にあったものが移築されている。
本尊は地蔵菩薩坐像。
建長寺のある谷は、もとは処刑場で地獄谷と呼ばれ、建長寺が建立されるまでは、地蔵菩薩を本尊とする心平寺があった。
そのため、建長寺の本尊は地蔵菩薩なのだという。
『吾妻鏡』には、1253年11月25日に建長寺の供養が行われ、「丈六の地蔵菩薩をもって中尊となし、同像千體を安置」したことが記されている。
現在、仏殿に安置されている地蔵菩薩坐像は室町期のものと考えられている。
本尊地蔵菩薩坐像をお祀りしています。
寛永5年(1628)建立の東京・芝の増上寺の徳川秀忠夫人、崇源院の霊屋を、正保4年(1647)に移築したものだそうです。
仏殿重要文化財。
寄棟造で単層裳階が付く。
芝(東京都港区)の増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)を建て替えに際し、譲渡されたもので、正保4年(1647年)に建長寺に移築されている。
もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。
すなわち、屋根は入母屋造でなく寄棟造である。
また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。
堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)、もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、伽藍神像などを安置する。
堂前にあるビャクシン(白槙、和名イブキ)の古木7本は開山蘭渓道隆手植えと伝えるもので、樹齢約750年といわれる。
四季折々の咲き、寺社仏閣も見応えが有ります。
(19/02/08)重要文化財。
元は江戸増上寺にあった徳川秀忠夫人崇源院の霊屋(たまや)の建て替えに際し譲渡されたもので、1647年(正保4年)に移築されました。
本仏殿は1647年に江戸増上寺に合った建物を移築されました。
地蔵菩薩坐像がお祭りされています。
国重要文化財に指定されています。
建長寺創建当初の仏殿は、左右に土地堂(つちどう)と祖師堂を従えたものだった。
現在の仏殿は、1647年、芝増上寺の徳川二代将軍秀忠夫人(崇源院)の御霊屋が移築されたもの(1628年の建築物・国重文)。
崇源院は、織田信長の妹お市の方と浅井長政との間に生まれ、姉は豊臣秀吉の側室となった淀の方。
建長寺二世の兀菴普寧(ごったんふねい)という僧は、本尊地蔵菩薩に礼拝をしなかったという。
菩薩はまだ修行の身であり、自分は悟りを得た仏であるので、菩薩より位が上という理由のようである。
これがゴタゴタの故事らしい。
重要文化財に指定されている建物で、ご本尊地蔵菩薩安置し、法要を行う。
五間重層寄棟造り正保4(1647)東京芝の増上寺より徳川2代秀忠夫人崇源院(お江の方)の御霊移してきたものです。
本尊地蔵菩薩坐像をお祀りしています。
寛永5年(1628)建立の芝増上寺の徳川秀忠夫人、崇源院の霊屋を、正保4年(1647)に移築したものだそうです。
名前 |
仏殿 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.3 |
建長寺の御本尊の地蔵菩薩が安置されています。
建物は国の重要文化財に指定されています。