京都御所と京都迎賓館の間にひっそりと。
皇女和宮生誕之地(橋本家跡) / / .
詳細は “立札” を 見てください。
せっかく、閑静な松林が有り、休憩するには最高の環境なのに、ベンチひとつ無いです。
京都御所と京都迎賓館の間にひっそりと。
木の生命力が感じられるところ(原文)나무의 생명력이 느껴지는 곳
この場所は「猿が辻」や『学習院発祥の地」と異なり、樹と樹の間に在るので少しわかりにくいです。
もし迷ってもパトロールしている警察官の方に聞くと丁寧に教えていただけます。
名前 |
皇女和宮生誕之地(橋本家跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://kyoto-kankou-guide.jp/wp-content/uploads/2019/06/ee037b3ebcfccab141c97bdfdf9d2fd0.pdf |
評価 |
2.7 |
京都御所の迎賓館西側にある橋本家邸宅跡と記されている場所がある。
ここは橋本実久(さねひさ)の娘であり、経子(つねこ)を母とする皇女和宮が生まれた場所でもある。
実の父は仁考天皇。
孝明天皇の異母妹でもある和宮親子内親王誕生(かずのみやちかこないしんのう)の地である。
早くに父である仁考天皇が亡くなった為に十四年間この橋本家で養育されている。
幕府から朝廷に公武合体政策の執拗な要請があり、当初の有栖川宮熾仁親王(ありすがわたるひとしんのう)と皇女和宮の婚約は 破棄されてしまったのである.........!兄である孝明天皇からも皇女和宮は説得されて十四代将軍徳川家茂へ嫁ぐこととなったのである!家茂も長州征伐のため、大阪に赴くが脚気の為に20歳で若死している!家茂の死後、和宮は出家して「静寛院(せいかんいん)」と名乗る。
その後、大政奉還により幕府は倒れることとなり皇女和宮は時の政権に翻弄された悲運の人生でもあった!また、明治維新後に皇女和宮は大政奉還後の徳川慶喜の助命にも尽 力している。
姑は天璋院篤姫である。
1877年(明治十年) 療養先の箱根で脚気の病で32歳という若さで没し、東京の増上寺の徳 川家茂の墓に並んで葬られている........。