正月に来ましたが、そこそこ空いています。
建長寺 三門(山門) / / / .
2014年10月12日に訪れたときの画像です。
鶴岡八幡宮から歩いて行きました。
建長寺三門。
二重門形式のもので、1775年(安永4年)に再建されたもの。
2階部分には、釈迦如来を中心に十六羅漢・五百羅漢像が安置されている。
総門から山門へ向かう桜の並木道は最高の景色で圧巻でした。
桜の季節は凄くお薦めです。
正月に来ましたが、そこそこ空いています。
山門(三門)安永4年(1775年)の上棟で、2005年に重要文化財に指定されている。
三間一戸の二重門で、上層屋根はこけら葺き形銅板葺きとする。
現在の建長寺の三門は、1775年、開山の蘭渓道隆の五百年忌に当たり、二百一世万拙碩誼によって再建されたもの。
建長寺大工の河内長兵衛が棟梁を務め、「建長興国禅寺」の大扁額をかけるため、上層に軒唐破風が設けられた。
三間二重門としては東日本最大の規模を誇る (国重要文化財)。
楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置され、その下を通ると心が清浄になるといわれている。
「三門」とは、「三解脱門」の略で、涅槃に至るために通過しなければならない三つの関(空・無作・無相)のこと。
建長寺の伽藍配置は、中国の径山(きんざん)万寿寺の伽藍配置を手本としたもの。
山門・仏殿・法堂が直線上に配置され、僧堂と庫院・浴室と西浄が左右対称に配置されていた。
トンネルのような桜並木を抜けると堂々とした三門が。
山門北側の石段を上ると、お稲荷さんが鎮座しておられるのですが、出迎えてくれるのは狸なんです。
本人も首をかしげておりますが、顔立ちの良さからして、由緒ある窯元のご出身ではないでしょうか。
後光というか傘ですが、きっと主も似ていたのでしょうね。
平年並みと言われるH30年5月31日、境内のアジサイは4分咲きって感じでしたね。
の山門(三門)は、1775年、二百一世万拙碩誼によって再建されたもの。
建長寺大工の河内長兵衛が棟梁を務め、「建長興国禅寺」の大扁額をかけるため、上層に軒唐破風が設けられた。
三間二重門としては東日本最大の規模を誇る (国の重要文化財)。
楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置され、その下を通ると心が清浄になるといわれている。
山門は、「三門」とも書かれる。
「三門」とは、「三解脱門」の略で、涅槃(悟り)に至るために通過しなければならない三つの関門(空・無作・無相)のこと。
山門北側の石段を上ると、お稲荷さんが鎮座しておられるのですが、出迎えてくれるのは狸なんです。
本人も首をかしげておりますが、顔立ちの良さからして、由緒ある窯元のご出身ではないでしょうか。
後光というか傘ですが、きっと主も似ていたのでしょうね。
平年並みと言われるH30年5月31日、境内のアジサイは4分咲きって感じでしたね。
今の三門は1775年、江戸時代の中ごろに立てられました。
お寺の門は山門という場合と、三門という場合があります。
建長寺は三門となっています。
五山の中でも最も勇壮な三門です。
拝観の際はぜひこの三門をくぐって解脱の境地を味わってください。
三解脱門の略で、楼上に五百羅漢(非公開)などを安置しており、その下を通ると心が清浄になるといいます。
安永4年(1775)当時の住職万拙が関東一円より浄財を募り再建したもので別名「狸の三門」とも。
これは山門建立の折り、この寺で育てられた古狸がその恩義に報いようと、僧侶に姿を変えて住職の化縁を助けて大活躍したという話が伝わっています。
額の「建長興国禅寺」の文字は深草天皇の文字によるものです。
国指定重要文 建長寺山門 鎌倉五山一位 さすがに堂々とした山門(三門)です。
名前 |
建長寺 三門(山門) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
江戸時代の建立で関東大震災で倒壊。
再建された重要文化財二重門で重厚感ある見事な建造物でした。
楼上には五百羅漢などが安置されているそうです三門の柱の間から見える紅葉が見事でした三門の下を通りながら太い柱の彫刻、天井に貼られたお札など見ながら通り抜けると心が洗われた気持ちになります。