森林整備ボランティアで、今年も訪問。
嵯峨天皇 嵯峨山上陵 / / .
山の上にある陵墓で、大覚寺のバス停から10分程度で登山口に辿り着けます。
山道はハイキングコースの如く整備されており、地元民と思われる方々とも何度かすれ違いました。
ところどころで見える景色は登る価値がある絶景です。
整備された階段のみで頂上まで行ける。
頂上には山上陵のみで他には何もなく眺望もないが、道中は京都市街をほぼ一望できる場所が何箇所かある。
広沢池から西に広がる田園風景と大沢池を前景に京都タワーから稲荷山、比叡山まで観る事が出来る。
地元の方が丁寧に管理されており非常に綺麗な山稜である。
山稜は両側から裏に回れる様になっており、向かって左側から進むと有名なミステリーゾーン「血の池」がある。
池というより大きな水溜りなのだが何年経っても何故か枯れず、何故か度々紅く染まるのである。
京都の土地では珍しく、平和で穏やかな空気に囲まれたエリア。
眼下には、のどかな風景が広がっています。
参拝道の入口から山上の拝所までは成人男性の足で約15分ほどで到着します。
整備された石段を徐々に登ります。
道中に見えてくる京都市内の遠望や眼下には大沢の池(大覚寺)と広沢の池が両方同時に見える貴重なスポットに感じました。
都を眺められる南向きの高台にある陵墓からは嵯峨の地はもちろん、仲の良かった空海(弘法大師)ゆかりの東寺、高野山なども視野に入っている様に妄想して、感慨にふけりました。
拝所横の脇道は一周巡れます。
また途中に分岐がありどこかへ行けるようですが、未確認です。
【情報】第52代の天皇で桓武天皇の第2皇子。
空海(弘法大師)、橘逸勢と共に三筆に数えられる。
晩年に過ごした嵯峨院(大覚寺)にて没。
786(延暦5年)~842(承和9)
階段が整備されているので登りやすいです。
帰りは足元に気を付けて、秘密の道で降りるのも可。
被葬者:第52代・嵯峨天皇宮内庁により、第52代・嵯峨天皇の嵯峨山上陵に治定されています。
嵯峨天皇は平安時代を生きた方で、父は第50代・桓武天皇、母は藤原乙牟漏です。
拝:2020/10/23
1808年儒学者・蒲生君平が嵯峨天皇陵墓を、ここ朝原山の山頂とした。
元は巨石群があり、盛り土されたらしい。
ひょっとしたら古代の祭祀跡かもしれない。
嵯峨天皇はその死に際して、封も築くな、土も盛るな、穴は棺が入れば足る。
樹木も植えず、草木の茂るままにせよ、永く祭祀もするなと徹底的な薄葬を望んだ。
葬儀のあと、直ちに人知れぬ山中に葬られた。
鎌倉期には所在地が判らなくなった。
空海に東寺を与え、最澄に大乗戒壇の設立を認め、いわば平安仏教を育てた人なのに、まるで鎌倉期の渾身の禅僧のようでもある。
山上陵までの九十九折からの景色は絶景。
ここが嵯峨帝の陵墓であっても、そうでないとしても、離宮嵯峨院(現大覚寺)を見下ろすこの地に帝が立ったことがあったかも知れない。
直指庵に初めて行くときにスマホのナビを見間違え、麓の階段を登り始めてしまったのが始まりでした。
位置的にも直指庵へ続く階段だと信じて疑わず登り続け、体力の限界近くでなんとか御陵に到着。
相当な数の階段、とてもキツかった。
しかし、間違えたのですが、失敗した!とかいうような気持ちではなく、何か不思議なご縁を感じました。
最初にこれだけの階段があるとわかっていたら登ってなかったかも知れないのですから、これはきっと何かのご縁なのでしょう。
ご挨拶をするように、そしてまたこの地に訪れることを約束し、墓前で結構な時間手を合わせてきました。
次、登れるかなぁ・・・。
不安ではありますが、素敵な眺めを見に、秋口にでもまたチャレンジしてみたいと思います。
ここ1,2年の間に新しく普請されたと思われる非常に新しく美しく整備された階段をひたすら上がります。
途中の景色が素晴らしい。
🤔
京都市内を見渡せて、静かで綺麗な場所です。
森林整備ボランティアで、今年も訪問。
名前 |
嵯峨天皇 嵯峨山上陵 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
本当に山の上にあるので、老骨には階段がきつかったです。
お参りされている方も数名いらっしゃいましたが、自分より年上と思われる方が多く、しっかりと階段を登られてお参りされているので、自分も足腰を鍛えなければと思いました。
途中大変見晴らしも良く、大沢池、広沢池、大覚寺などがよく望め素晴らしい景色でした。