反ワク反マスクという社会の塵芥を救ってくださるあり...
人通りが多いところから離れており、静かで心が落ち着く場所です。
管理されている方のお人柄が伝わってくるような、趣のあるお寺だと思います。
この日本国の為に、人々の為に、ご自身のお立場をしっかり芯を持って実行されていらっしゃる大変信頼できるお方と日々実感しております。
大変お忙しい中、発信に心より御礼申し上げます。
亀ケ谷坂切通しの近くにあるお寺です。
徳川家にゆかりのあるお寺になります。
平日曇天だったこともありゆっくりお参りすることができました。
御朱印も気持ち良くご対応してもらいました♪
鎌倉に観光で訪れる人の多い小町通りから入った静かな山際にあるお寺です。
山門前の急坂にある桜が春には綺麗なのではないでしょうか。
短い坂道ですが、ご高齢の方はちょっとだけキツいかもしれません。
杉本寺ではマスク着用強制されましたが、こちらでは外して下さいの張り紙があちこちに貼られておりました。
素晴らしい!
手入れが行き届いており、ひっそりとして落ち着く。
心を休める場所に最高でした。
住職の話に生きていく力をいただきました。
日蓮宗の静かなお寺。
六乗山薬王寺元は真言宗梅嶺山夜光寺のちに日像上人が 日蓮宗に改宗させたお寺ですコロナ禍の為 御朱印は 頂けませんでした。
古には夜光寺と呼ばれ真言宗だった。
現在は日蓮宗であり千葉家の館と隣接する。
名前の由来は・・・向かいの山が光るとか水が涌くとか・・・自然現象が由来らしい。
千葉家が信仰した北斗星信仰の古来の天体観測と、恐らく今は入れない“扇の井”の存在が由来だろう。
井戸掘ると濁り水や塩分濃度高い水が出てしまう鎌倉市街において、数少ない飲用水に耐える水脈は貴重だった。
また、当時の尾根は砂岩剥き出しに城塞化造成されており、その山の端(は)から何らかの天体が重なり輝いて昇る姿が美しかったんじゃないだろうか。
浄光明寺の裏山が妙見大菩薩=北斗星信仰の信仰対象で、その場として始まったのかも知れない。
浄光明寺側にも“泉の井”がある。
名前も夜光寺と通じる物がある。
その信仰対象とおぼしき山には日蓮宗と縁深い千葉常胤公と相馬師常公の御廟所がある。
千葉一族の邸址と亀ヶ谷を挟んで反対側の山裾全体も嘗(かつ)ての広大な寺跡と思われ矢倉群が私有地に沢山現存する。
薬王寺は鎌倉時代から数百年後に再度繁栄する。
江戸時代に入ると伊予松山藩主蒲生忠知公の正妻の松寿院様と御息女の松嶺院様の供養塔が建てられ菩提寺となる。
蒲生忠知公は祖母の相応院殿が織田信長公の御息女。
実母の正清院振姫が徳川家康公の息女。
更に忠知公正妻の松寿院菊姫は陸奥国平藩主内藤政長公の御息女で、この薬王寺に御廟がある。
内藤政長公の菩提寺は薬王寺と鎌倉市街を挟んで対極線にある材木座の浄土宗大本山の光明寺と非常に近い。
更に薬王寺は三代将軍徳川家光公の御実弟である駿河国駿府城主徳川忠長公の供養塔もあり日蓮宗における菩提寺に成っている。
徳川忠長公正妻の織田昌子松孝院(久姫)様による徳川忠長公供養の為の茶湯料として寺領三千石の寄進が為(な)され、忠長公の供養塔が置かれ南関東における徳川忠長公の菩提寺と成った。
薬王寺は寺紋も日蓮宗には珍しく徳川家の家紋の使用が許されている。
しかし寺の縁者を見るに、徳川家光公にとって不都合な織田信長公の血筋を供養する寺院化している実情が有る。
静かなお寺です。
裏の山を上がると海まで眺められ、好きな景色です。
永代供養が丘にあって景色が良いですよ。
鎌倉で雰囲気のあるお寺さんです!!!!鎌倉の駅から散歩しながら、行けちゃいます。
徳川家光の弟忠長の供養塔があります。
小高い山の頂上にある日蓮宗のお寺🙏お寺自体普通に良くあるお寺🍀🍀だが境内には徳川家康公の孫にあたる江戸時代前期の大名・徳川忠長公の供養塔があり、また本堂裏手の山の中腹には伊予松山城築城に力を注がれた江戸時代前期の大名・蒲生忠知公の正室・松壽院様とその息女・梅嶺院様のお墓があり徳川家や蒲生家のゆかりの寺としても有名✨✨一応お寺に行くまでに登らなきゃいけない急な傾斜の坂があるので高齢の方には気をつけて下さい⚠️
近いのになかなか行けないままでした。
やぐらが多いですね。
お参りして御首題を頂けました。
感謝しております。
日蓮宗の寺。
以前は大寺であったが、現在は山門に本堂及び裏手の墓地があるのみである。
境内には非業の死を遂げた松平忠長の供養塔や蒲生忠知の妻と娘の墓がある。
日蓮宗のお寺。
Make sure to wash the Kannon and make an offering. Very small shrine but very important cultural artifacts are here.
鎌倉駅徒歩20分くらいのところにあるこじんまりとしたお寺です。
歴史を感じさせる落ち着いた佇まいが良いです。
日蓮宗寺院。
既に、五回目の参拝になります。
今回は、行衣に朱印を頂きに来ました。
気さくにお参り出来、鎌倉で一番好きなお寺さんです。
2016/05/01に参拝した。
いつも薬王寺は、亀ガ谷~山ノ内の行き来で知ってはいたが、なんとなく素通りしていた。
今日は時間が出来たから、壽福金剛禅寺御開帳の後、化粧坂を登って銭洗い弁天の連休初日の賑わいを撮影し更に登って葛原岡神社と日野俊基墓前に挨拶してから鎌倉山の常場所で昼食後、化粧坂を下って海蔵寺の参拝した後薬王寺に参拝した。
もともとは真言宗に属し、梅嶺山夜光寺(ばいれいざん やこうじ)と称していた。
しかし、永年元年(1293)日像上人がこの寺に逗留したとき、住職と宗教論議になり数日間の論争の末、日蓮宗に改宗され大乗山薬王寺となった。
徳川三代将軍家光の弟、駿河大納言忠長が高崎で自刃。
妻の松孝院院殿はこの寺に供養塔を建立し、永代追善菩提の為に多額の金子と広い土地を寄進。
三千坪の境内には五重塔や諸堂が建てられたが、享保五年(1720)の火災で焼失した。
江戸時代、薬王寺は徳川家と縁が深く、寺紋に三葉葵がもちいられた。
それ故、町人の埋葬は許されない格式の高い寺であった。
名前 |
薬王寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-3749 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
反ワク反マスクという社会の塵芥を救ってくださるありがたいお寺。
他人の健康に配慮できない人や、病院でもマスクできないような基本的な社会のルールを守れない人は、このお寺が拠り所となるでしょう。
公共交通機関は避け、自家用車でお越しください。