北鎌倉へ向かう電車の中で見つけきになりウォーキング...
智岸寺稲荷 英勝寺鎮守 / / / .
北鎌倉へ向かう電車の中で見つけきになりウォーキングついでに見に行きました!嫌いじゃない。
断崖をくり抜いた小さな神社⛩。
英勝寺から海蔵寺方面に進むと左手に見えて来ます。
案内板によると、かなり歴史のあるお稲荷様みたいです。
鎌倉界隈はこのようなちょっとした祠が沢山あって雰囲気が良い感じがします♪
横須賀線からも赤い鳥居が見えますね。
朝ランで横を通りました。
やぐらもあります。
英勝寺の前身とも言われる智岸寺にあったという稲荷社。
詳細は案内板を参照。
隣の阿仏尼のやぐらも含めて管理は行き届いているようだ。
賽銭箱がないのは今の時代、かなり不用心だと思う。
엘펜리트 애니에서 루시랑 코우타가 어릴적에 만났던곳. 한국인들이 잘 모르는 애니성지임. 엘펜리트 감명깊게 봤다면 꼭 한번 가보시길
きちんと整備されたお稲荷さんですね。
しっかり拝んできました。
110.智岸寺稲荷神社(隠里稲荷神社)アクセス:「寿福寺」の前を「英勝寺」方面に進み、英勝寺の入口を少し通り過ぎた緩いり坂の崖側に鎮座しています。
・扇ヶ谷に英勝寺が創建される前、そこには智岸寺という寺があった。
智岸寺は、尼寺だったといわれ、東慶寺の旭山尼が隠居した寺でもあった(旭山尼は太平寺住職青岳尼の妹)。
・< 境内の「英勝寺」作成解説ボードから引用 >稲荷神社について世にお稲荷様と申上げている稲荷神社は倉稲魂神をお祭りしたもので今から約1300年の昔、和銅4年の2月の初午の日に京都の伏見に稲荷神社が鎮座したのが始まりです。
この神は稲がなるイナリの別名が示すように五穀の生育やすべての産業を育成する広大な御神徳のある神ですから、あるゆる人々の信仰をうけ全国各地の神社や邸内に祭られています。
鎌倉で由緒ある稲荷は隠里稲荷で、鎌倉風土記によると源頼朝が伊豆の蛭が島にいたとき病の床につき三晩続けて同じ白ひげの老人の夢を見ました。
その老人の言うとおりに薬を飲みますと病はなおりこれが縁で幕府を開くことが出来たということです。
この白ひげ老人が隠里稲荷の化身であったということです。
お稲荷様は大切にお祭りしましょう。
英勝寺。
英勝寺から道なりにあるお稲荷さまピンク色がかった⛩️が目を惹きます。
源頼朝公が病の床に付いていた時に夢で白髭の老人が現れてその老人が教えて下さった薬を飲んだ所その病が治り、その後鎌倉幕府を開く事が出来たと言われていて、その老人こそがここに祀られているお稲荷さんと言う由緒ある稲荷神社である⛩雰囲気からして霊験新たかな感じがしてパワーを貰えそうなスピリチュアルな神社でした✨✨✨やぐらの中に小さな社がある独特な雰囲気でした🌿🌿🌿
英勝寺の管理下にあるらしい、道端の小さなお稲荷様。
名前 |
智岸寺稲荷 英勝寺鎮守 |
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ジャンル |
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住所 |
|
評価 |
3.8 |
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英勝寺の入口から横須賀線沿いに進んだところにある「阿仏尼の墓」を訪れたとき、隣にこちらのお稲荷さんがありました。
このお稲荷さん、智岸寺の境内にあったので智岸寺稲荷と呼ばれているそうです。
英勝寺が建てられる前、智岸寺という尼寺があり、江戸初期までは、智岸寺の地蔵堂があったそうです。
以前、鎌倉二十四地蔵尊巡礼で、瑞泉寺の「どこも苦地蔵」の御朱印を頂いたことがありますが、元々は智岸寺の地蔵堂に安置されていたそうです。
言い伝えによれば、「智岸ヶ谷の地蔵堂の堂主が貧しさのあまり逃げだそうとすると、夢枕に地蔵が現れて、「どこも、どこも」 と告げたそうです。
堂主は 「苦しいのはどこにいっても同じだ」 と悟った」とのことです。
思いがけず、どこも苦地蔵の話が出てきて、知らない場所で古い友人に巡り合ったような気持ちになりました。