気持ちよくお墓参りされてもらってます。
御本尊は阿弥陀如来三尊十六羅漢が彫られた山門は見事です本堂の扉は少し 開いていていて本堂の中を見る事が出来ました。
鎌倉三十三観音第12番。
時宗の小さなお寺さんです御朱印を書いてくださる女性の方が上品で気さくな人です。
300 円でした。
門をくぐると 目の前に 横に伸び木がありビックリ 160㎝位のかたなら 頭がぶつかるかも…………雨もふっていたせいもあり 静なお寺でした。
いつもお寺内は綺麗にされており、気持ちよくお墓参りされてもらってます。
ここは観光するのには向いていないと思います。
時宗の寺院読み方は「キョウオンジ」
延宝6年(1678)、貴誉上人によって材木座の光明寺境内にあった教恩寺が移築されたと伝わります。
山門の先、参道を跨ぐかのように覆いかぶさるタブの古木が印象的でした。
有り難く、鎌倉三十三観音第12番の御朱印 “聖観世音”を頂きました。
大町のお肉屋さんの角をちょっと奥に歩くと山門が見えます。
山門をくぐると木の枝が真横に伸びてます。
ご近所の庭に入って来てしまったような境内。
ここの仏さまは静けさを好む感じなので、ひっそりとお参りしましょう 合掌。
78.教恩寺山号.寺号: 中座山大聖院教恩寺宗 派: 時宗寺 宝:本堂内に安置・本尊 木造阿弥陀三尊像(神奈川県指定文化財)運慶作と伝えられる。
・聖観音菩薩像 鎌倉三十三観音霊場十二番札所 (秘仏とされ非公開)本尊の木造阿弥陀三尊像は、源平の合戦の折、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉に連れてこられた平清盛の息子 平重衡に対し、平家の菩提を弔うようにと、源頼朝が与えたものと伝えられています。
アクセス:・ JR鎌倉駅東口から徒歩8分。
・拝観料 志納・拝観時間 10:00~15:00御朱印:「聖観世音」 鎌倉三十三観音第十二番札所概要:教恩寺は、下馬四つ角から大町通りを逗子方面に進み、JR横須賀線・大町踏切を渡って100mほど先の小路を左折した突当りにあります。
地理的には目立たず、こじんまりとした印象ですが、江戸時代には大町踏切の反対側の延命寺と寺域を接していたということですので、相応の広さの境内をお持ちだったようです。
この場所には、もともと善昌寺という光明寺の末寺があったそうです。
江戸時代の中期に廃寺となったため、延宝6年(1678年)光明寺の中にあった教恩寺(開基:北条氏康、開山:知阿上人)が、貴誉上人の代に移転してきたということです。
創建当時は浄土宗のお寺だったようですが、現在は時宗で、遊行寺の末寺となっています。
◆「阿弥陀如来三尊像」にまつわる平重衡と千手前(せんじゅのまえ)の悲話~源平の合戦の折、一ノ谷の戦いで捕虜になり鎌倉へ連れてこられた平重衡の無聊を慰めるため、源頼朝の命により、今の教恩寺の場所で宴が催された。
その時、官女である千手前(せんじゅのまえ)もその席で琵琶を弾くなどしました。
その後、千手前は重衡の下に留まり、重衡が奈良・興福寺に引き渡されるまでの1か月半の間共に過ごしましたが、重衡は奈良・興福寺に到着して間もなく木津川で斬首されてしまいました。
「吾妻鏡」では、千手前は亡き重衡を想いつつ、その三年後に鎌倉で亡くなったとされており、また、「平家物語」では、出家して信濃国善光寺で重衡を弔ったとされています。
なお、能の演目「千手」はこの話を描いたものだそうです。
<考察>~源頼朝が与えたものと伝えられる阿弥陀如来三尊像における「平重衡と千手前の悲話」と「教恩寺の開基」の年代的考察~(1184年)3月、重衡は梶原景時によって鎌倉へと護送され、頼朝と引見のあと、約1ヶ月半ここに留まったとあります。
(1240年)光明寺は、佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したとされる。
(1678年)江戸時代の中期に廃寺となつた善昌寺があった現在の場所に、光明寺の中にあった教恩寺(開基:北条氏康、開山:知阿上人)が、移転してきたという。
さて、「(1184年)3月、重衡は梶原景時によって鎌倉へと護送されてこられた平重衡の無聊を慰めるため、源頼朝の命により、今の教恩寺の場所で宴が催された。
」とあります。
宴が催された寺社は、どこだろうか・・・また、この話は、・・・
JR鎌倉駅東口より徒歩9分。
大町、バス通りから路地に入った閑静な住宅街の中にひっそりと佇んでいます。
戦国時代に後北条氏全盛をもたらした北条氏康が材木座の光明寺境内に創建したのが始まりで、江戸時代にこの地に移されたそうです。
ご本尊さまは鎌倉最古の仏像の一つ、木造の阿弥陀三尊像。
厄除けのパワースポット。
入口山門上部の十六羅漢の彫刻は見事。
時間を忘れ見惚れてしまいます。
参道を横切る桜、境内を覆うタブの古木。
こじんまりとしているが緑に囲まれ清々しく居心地素晴らしいです。
鎌倉三十三観音12番札所ご朱印いただきました。
門の前にかかっている木がすてきです。
山門の十六羅漢の彫刻が見事な教恩寺(時宗)は、一ノ谷の戦いで捕らえられた平清盛の子・重衡に縁のある寺。
もともとこの地には、光明寺末の善昌寺があったが廃寺となったため、1678年(延宝7年)、貴誉上人によって光明寺境内にあった北条氏康建立と伝わる教恩寺が移築されたといわれている。
(18/02/09)鎌倉三十三観音霊場 第12番札所「聖観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/27)鎌倉三十三観音霊場 第12番札所「聖観世音」御朱印をいただきました。
時宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来三尊JR鎌倉駅より650m。
(18/02/09)鎌倉三十三観音霊場 第12番札所「聖観世音」御朱印をいただきました。
(12/10/27)鎌倉三十三観音霊場 第12番札所「聖観世音」御朱印をいただきました。
時宗の寺院。
本尊:阿弥陀如来三尊JR鎌倉駅より650m。
時宗のお寺さんです。
静なお寺で、紅葉を少しだけ見れました。
小さなお寺さんです。
細い路地の目立たない場所にある静かなお寺。
御朱印いただきました。
こんな所にもお寺さんがあったのか、と感じる慎ましやかにたたづむ寺である。
是非とも山門の表と裏側の彫刻は、必見です。
時宗鎌倉三十三観音第12番札所平成24年2月10日参拝平成28年3月 3日参拝。
2016/04/24に参拝しました。
JR横須賀線の非常(^ ^)市側大町地区にあります。
踏切近くに有り、滑川にも近い。
山門を入ると右側に大きな「タブの木」が茂りその下に「勝軍地蔵尊」が下半身を土の中に嵌り立っておられました。
(住職夫人によれば、近くの廃寺、寺名不明から客佛として、鎌倉市から預かる)。
この地蔵尊の周りには、五輪塔や宝篋印塔が地蔵尊を囲む形に並んでいる。
本堂は、山門から正面に有り、ご本尊の木造阿弥陀三尊像、鎌倉三十三観音霊場第12番の秘仏の聖観音菩薩がある。
創建は延宝6年(1678)、開山は知阿上人、開基は北条氏康。
ひっそりと目だたず佇むお寺。
目的意識なしでは出くわさないところにある。
「山門の十六羅漢の彫刻」注意してないと見逃す。
名前 |
教恩寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0467-22-4457 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.9 |
お墓参りに行きました。
近くにコインパーキングがある。
車で行った際はコインパーキングを利用するようですね。