空海の母である玉依御前の里だったといわれています。
大師堂は本堂からちょっと歩いた場所に有ります。
ここから新四国中央88か所や奥の院にも行けます。
奥の院に参拝する途中の小屋には、ウサギと鶏🐔が居ます。
四国 多度津屏風浦海岸寺弘法大師の母上様のお寺二年ぶりに訪問しました。
年二回は必ずお参りしますが、コロナの影響で延び延びに。
空海の父上様は善通寺、母上様は海岸寺とお寺のお世話の方に教えてもらいました。
裏は砂浜の海水浴場で、夏は人気ですね🍀
奥の院は桜が満開でした、土曜日にも関わらず参拝者もなく静かに花見を堪能出来ました。
香川県多度津町白方にある海岸寺は弘法大師誕生の産屋跡といわれている (諸説あり)。
御朱印は、道をはさんで向かい側の海岸寺で書いてもらえる。
この寺は、訪れた時は無人だった。
予讃線、瀬戸内海にも近い風光明媚なところです。
江戸時代までは、弘法大師生誕地は善通寺ではなくこちらの海岸寺だとされていました。
経納山 迦毘羅衛院 海岸寺 奥の院宗旨 古義真言宗本尊 弘法大師誕生仏創建 弘仁六年(816年)この地は弘法大師空海のご母堂様の出身地とされ奈良時代後期宝亀五年(774年)にここ奥の院で弘法大師空海が生まれたとされています。
弘法大師初因縁の霊場と云われています。
平安時代初期弘仁六年(816年)に弘法大師空海が自身の像を刻み大師堂を建てたことにより奥の院が開かれた。
江戸時代後期文化年間(1804年~1818年)には海岸寺と善通寺との間に弘法大師空海の誕生地を名乗る争いが起こりました。
嵯峨御所の「善通寺は誕生所で海岸寺は弘法大師出化初因縁の霊跡と称する」と云う裁決を受ける。
海岸寺と奥の院は同じ寺院、同じ敷地なのですが旧国鉄(現在JR予讃線)の線路と県道により分断されています。
近くの紫雲出山に花見にいった帰りに伺いました。
静かで桜も、ちょうど満開でした。
隠れキャラ的な 御朱印 いただきました!絶対 いただくべき!!
先日、数珠の玉購入と御朱印の際に住職さんに春になると桜や海が美しい話や奥の院のヤマドリを教えていただきました。
ヤマドリが手のひらにとまり向日葵の種を取りに来た瞬間を写真におさめました。
なかなか見れない光景です。
来年の春にはぜひ桜を撮影しにきたいと思います。
また住職さんにもお会いしたいと思います。
石が多くて根がかりしやすい。
フグがいっぱい。
2020年7月14日に立ち寄らせて頂きました。
海水浴場に、程近い場所に鎮座します。
御朱印は、寺務所にて「直書き」にて拝受できます。
訪れた時に、地元のテレビ局の取材中で【弘法大師誕生会】ちょうど副住職さんがいらっしゃいましたので御朱印帳を持って頂いて撮らせて頂きました。
このお寺さんの「庶務:営繕」の爺様には少し注意が必要です。
観光客だと知ると、あれやこれやとお話を聞かせて頂くのは嬉しいのですが、まぁ〰️長い長い〰️長時間離してくれません。
話を切りますが、全くお構い無しで話を続けて来ますので、急いでる方は注意下さい。
本堂と太子堂とは、離れているがとても立派です。
境内は広く奥の院の塔からの眺望が良い。
弘法大師さまの生誕、産湯の井戸です。
感動しました。
この寺のある辺りは屏風ヶ浦と呼ばれ、空海の母である玉依御前の里だったといわれています。
玉依御前がこの地に産屋を設けて空海を出産し、その後空海がこの産屋跡に聖観音菩薩像を刻んで安置したのが海岸寺の始まりといいます。
奥の院には産湯の井というものが残っています。
そのため「生誕地」をめぐって善通寺と「本家争い」も歴史の上ではありました。
司馬遼太郎は、「空海の風景」の中で、「空海がうまれたのは、善通寺からはずっと海岸のほうの、いま海岸寺といわれる寺の所在地がそうだともいわれているが、出産のとき海岸に産屋でも設けられたのがそういう伝承になったのかもしれない」と書いています。
不動明王も祀られています…
別格霊場18番。
名前 |
海岸寺 大師堂 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0877-33-3333 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
名前の通り海岸のそばにあります❕❕素敵な場所ですよ~✌️