▼ 歴史の道「萩往還」の一部です。
何処だろう?いつの間にか、観光名所だったー。
芝桜がきれいに咲いてます。
河川敷は良いお散歩コース、駐車場、トイレもあります。
▼ 歴史の道「萩往還」の一部です。
ここは道でも橋でもなく、小舟の上に架けられた板を渡りました。
富山県神通川の舟橋とともに、天下の奇橋と称されたようです。
▼ なぜ橋を架けなかったか?それは、ここ佐波川が暴れ川で、たびたび橋が流失したからです。
周囲を眺めてみましょう。
大木が見当たらないでしょう?このあたり一帯は、たびたび水害に見舞われ、すべてが押し流されて来た歴史を持つことを物語っています。
▼ 今から300年前、寛保2(1742)年にこんなすてきなアイデアを思いついた人物は、その名が後世に語り継がれました。
「大渡手子源八」。
「大渡」は付近山手側(吉敷会館付近)の地名です。
「手子(てご)」とは山口地方の方言で、手伝いの意味です。
佐波川畔に住み、通行人が佐波川を渡るときの補助をしていた人でしょうか。
いずれにしても、著名な建築学者などではなかったようですね。
北に向かった先にある「山口」や「萩」への対外防備という側面からも、このアイデアは高く評価されたようです。
▼ 舟橋が撤去されて、50mほど下流にきちんと「本橋」が架橋されたのは昭和16(1941)年です。
太平洋戦争勃発の年、山口市の歩兵42連隊が出陣するための機動力を確保しようとしたのでしょうか。
でも10年後には、案の定、流されてしまいます(現在の橋は昭和29(1954)年架橋)。
▼ そんなこんなの歴史を持っているのに、現在のメインストリートはさらに下流の「新橋」。
舟橋の歴史もいつか忘れられるのかなー▼ 下の写真は、釣人がいるのが「舟橋」(戦前内務部272、文書館蔵)、もう1枚が『大正天皇皇后行啓記念写真帖』(1922)より転載です。
名前 |
舟橋のモニュメント |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.6 |
佐波川河川敷のコンクリートアート~散歩中に発見しました。
昔の情景や人々の生活に思いを馳せるのも一興です。