あたご姫に縁のある神社らしいです!
あたご姫に縁のある神社らしいです!
春に行きたいなー。
直ぐ近くの王宮伊豆神社で春姫のことを知りましたが、詳しいことが解りませんでした。
するとこの采女神社のことを知り行ってみると看板に以下のことが書かれていて、その概要を知ることができました。
安積采女(春姫)の由来およそ1300年前、 陸奥国安積の郷(里)は、数年に及ぶ旱天凶作が続き年貢を滞納しておりました。
奈良の都から、 按察使として葛城王(後の左大臣橘諸兄)がこの地に派遺され村里の状況を視察中、 里人達は状況を訴え、王を歓待する宴を盛大に催し、懸命にもてなしましたが、王の機嫌は悪くなるばかりでした。
そこで国司は一計を案じ里の眉目麗しい春姫を召し出しました。
春姫は満座の中、里人を救おうと王の前に進み出て、盃に清水を注ぎ「安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心を 我が思わなくに」(万葉集) と詠み王に捧げました。
和歌にすぐれた王は、「都の花を今 鄙に見る」とことのほか喜ばれ怒りも解け、春姫を帝の采女として召し出す事を条件に、さらに3年間の年貢を免除することを約束しました。
里人達は王に感謝し、笹原川までて見送りました。
春姫には、次郎という夫がおりましたが、村里の窮状を救うためとやむなく別れ都に上がりました。
帝の龍愛を受けていた春姫てしたが、次郎や里人への思いが募るばかりでした。
猿沢の池の畔で月見の宴が開かれた中秋の名月の夜、宴席を離れ柳の木に衣を掛け、池に身を投げたように見せかけて、一路安積の郷をめざしました。
身も心も疲れ果てようやくの思いて村里へたどり着いた春姫は、次郎の死を知り悲観にくれ、里人達の温情もかなわず、「山の井清水」の端の桜の枝に、衣を掛けて清水に身を沈めこの世を去ったと言う。
里人達は、これを悲しみ地形山に葬り供美したと伝えられています。
やがて春が訪れ清水の辺り一面に薄紫の可憐な花ハナカツミが咲き乱れました。
二人の永遠の愛が清水で結ばれ、この花になったと言われています。
郡山市うねめ観光協会・片平歴史の会。
名前 |
釆女神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
まもなく3年ぶりのうねめ祭り。
初日はここで慰霊祭があるせいか、きれいに草も刈られていました。