柏市と流山市の境界線がこの土手のようで豊四季と松が...
柏市と流山市の境界線がこの土手のようで豊四季と松が丘との境が特別緑地保全地区となっています。
土手は長さ500m高さ3・4mでほぼ完全な形で残っています。
幕府の牧場の馬が逃げたり畑を荒らしたりしないように、柵の代わりに人力で築いた野馬除土手の跡です。
柏の馬の話はいろいろあって「おーい」と愛馬、のちの名馬ikezukiを呼んだ小高い丘(塚)があの交通要所で車の往来の多い「呼塚」です。
歴史に残る名馬摺墨Suru-sumi や池月Ike-zuki (生食)など調べてみると楽しいですよ。
特に宇治川のエピソード、佐々木君のトリックにかかった梶ちゃん(笑)🗣️5,000\u003c ♤×10♤♤♤
名前 |
松ヶ丘野馬土手緑地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.nagareyama.chiba.jp/institution/1004355/1004479/1004546.html |
評価 |
4.0 |
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江戸時代の人間にとって「馬」は、現在よりはるかに身近でかつ重要な存在でした。
武士にとっては移動用の乗用車であり、敵に突撃する戦車の役割も担いました。
また民間においては荷駄を運ぶトラック、そして農耕のためのトラクターでもあったのです。
その重要な馬を産出するために、江戸幕府は広大な放牧場を今の千葉県内に多数保有していました。
それは「牧」と呼ばれ長大な土塁と堀で囲まれていて特に千葉県北部の五つの牧は「小金牧」と総称されています。
ここは、その内のひとつである「上野牧」の土塁の一部です。
見どころは二重になった土塁で(写真参照)市境も兼ねていて柏市側が牧内で、流山市側が人間の居住域になります。
柏市側の土塁は低く傾斜も緩やかで、これは馬の足を傷つけないようにする工夫です。
一方、流山市側土塁は高く急傾斜していて、ここから先は絶対防衛圏である事を示しています。
これなら例え柏市が攻めてきても、流山市は安心ですね(笑)。
また面白いのは、幕府は牧内で馬を放し飼いにして自然繁殖させていた事で、半野生化していました。
これは優秀な種馬を除いて全て去勢してしまう騎馬民族とは対照的です。
馬の強弱は戦力に直結しますからね。
また去勢しない馬は虎のように気が荒く、制御が難しいそうですが、恐ろしい事に日本人は明治になるまで、その方法を知らなかったようなのです。
明治になって外国からやってきた軍事教官が、馬が全て去勢されていない事を知って「頭は確かか?」と言ったとか言わないとか(笑)。