歴史のあるお寺でお彼岸の時もあり普段はお目にかかれ...
不勉強ながら、単に目についた場所を、知り得た情報と共に投稿致しています。
米ノ井の集落の中央に位置し、米井山無量寿院龍禅寺と号し、天台宗の古刹である。
守谷市西林寺の末寺である。
創建は天慶二年(939)であり、開山は伝誉であるとされている。
境内の三仏堂は、国指定重要文化財である。
国指定の有形文化財(重要文化財)です。
わかりにくい細い道のさきにありますが、大変趣のある建築物です。
龍禅寺の御本尊は鎌倉初期の阿弥陀如来坐像。
脇侍として木造十一面観音坐像と室町期の木像地蔵菩薩坐像が安置される。
龍禅寺近くにある神明神社には伊勢神宮の神が祀られてある。
その由緒は不明であるが相馬御厨の西限に祀られたものといわれる。
御厨は伊勢神宮の領地である。
天平勝宝頃に大和より下向してきた縣犬養宿禰浄人が、相馬御厨の東端に行基作の馬頭観音像を安置して東漸寺観音堂を建立し、西端に行基作の地蔵菩薩像を安置して龍禅寺を建立したのが開基と考えられる。
縣犬養春枝の時代には龍禅寺の御本尊であったと思われる伝行基作の地蔵菩薩坐像は、相馬小次郎将門が創建した海禅寺に遷座されたが、将門討死時に御厨三郎将頼が海禅寺より持ち出して行方不明になったようだ。
地蔵菩薩の御利益に「武運長久」がある。
承平7年(937)に将門が龍禅寺で武運長久の祈願を行ったら三仏堂の前の井戸から水が噴き出して米になって降ってきたという。
それ以来この地を米ノ井と呼ぶようになった。
龍禅寺は縣犬養一族そして将門一族の祈願所であったようだ。
縣犬養春枝の娘であった将門の母、そして将門の妾であった桔梗御前も祈願のため龍禅寺を訪れたと伝えられる。
将門は妙見菩薩を守護神としていた。
軍神としての妙見菩薩の本地仏は十一面観音であるといわれ 、坐像であることから将門の守り本尊として龍禅寺に安置されたかもしれない。
建久3年(1192)に源頼朝の命令で千葉常胤が三仏堂を修復したと伝えられるが、三世仏は南宋仏教の影響によるもので三仏堂は将門の時代には存在しなかったのでは… 千葉常胤が修復したのは龍禅寺本堂であったと考えるのが最も納得しやすい。
現在の龍禅寺本尊である阿弥陀如来坐像を安置したのが千葉常胤であろう。
法然上人は龍禅寺阿弥陀三尊の開眼供養を頼まれたが、地蔵菩薩のために断ったという口伝が龍禅寺に伝わる。
千葉氏と法然上人は深い親交があったようだ。
相馬師常は、父常胤が亡くなると出家して法然上人の弟子になったという。
鎌倉期の三仏堂は火災で焼失してしまったという。
現存する三仏堂と木像地蔵菩薩坐像は室町期のもので、この時期に竜禅寺で大きな修復事業があった。
永禄11年(1568)に守谷城の拡張改修普請が行われたのと同時期である。
三仏堂は新守谷城主となる古河公方足利義氏の祈願所として再建されたかも知れない。
守谷城改修普請に来ていた職人が三仏堂の再建にも関わったであろう。
-------------------------✂ キリトリ線------------------------------建仁2年(1202)藤原宗貞が堂舎を建立、本尊に阿弥陀仏、脇侍に観音地蔵を安置し、法然に供養を望んだところ、法然は三尊を見て「この堂は、源空が供養すべき堂にあらず」と退出したという。
願主は法然が勢至菩薩の垂迹であると聞き、地蔵菩薩を勢至菩薩に替えて安置したところ、法然は引摂寺と名付けて供養したという。
-------------------------✂ キリトリ線------------------------------其氏族存者祭将門於此寺以為鎮守安置妙見菩薩(堀田正俊「海禅寺縁起」より)おそらくは将門の叔父であった平良文によって、海禅寺に妙見菩薩が安置されたと伝わる。
妙見菩薩は千葉氏や相馬氏の時代には袍衣の下に鎧をまとった童子姿となったが、将門の時代には本地仏である十一面観音像を妙見菩薩として安置したと思われる。
( 「消災吉祥陀羅尼」の影響からか吉祥天像を妙見菩薩として祀る例も羽黒山や天台宗寺門派等で見られる )( 中国風の鎧兜の北辰妙見は日蓮宗の影響によるもの )なお、海禅寺には妙見菩薩像は現存しないようだ。
あるいは龍禅寺の十一面観音坐像が、鎮守として安置された妙見菩薩なのかも。
-------------------------✂ キリトリ線------------------------------秩父郡皆野町の円福寺には将門の弟である葦原四郎将平の墓がある。
五輪塔は首のない将平の遺体を寺僧が葬ったものとされている。
円福寺の本尊は阿弥陀如来で、右脇侍は勢至菩薩、左脇侍は十一面観音菩薩である。
阿弥陀如来像の台座には天明元年(1782)の銘があり、勢至菩薩像も同時代の作とされる。
しかし十一面観音菩薩像は、平安鎌倉時代に活躍した「院派」の仏師の作と考えられている。
おそらくは平安鎌倉期に将門一族の守り本尊として十一面観音像が安置されたが、室町中期以降は薬師如来が将門の守り本尊とされるようになり、十一面観音が妙見菩薩の本地仏であることは忘れられ、新たに本尊として安置された阿弥陀如来の脇侍とされたのであろう。
龍禅寺の十一面観音像もまた似たような経緯で脇侍とされたのではないかと思われる。
その場合には対をなす脇侍として勢至菩薩像が新たに用意されると思われるが、安置されたのは木造地蔵菩薩坐像であった。
(龍禅寺の本尊は地蔵菩薩、十一面観音、阿弥陀如来の三仏であって、龍禅寺本堂が別名「三仏堂」と呼ばれていたように思える。
のち南宋仏教の影響により釈迦、阿弥陀、弥勒の三世仏を祀った堂宇が新たに建立されたが三世堂ではなく三仏堂と呼ばれたと考えられる。
)-------------------------✂ キリトリ線------------------------------鎌倉初期に竜禅寺本堂に阿弥陀如来坐像が安置され、脇侍の観音菩薩も室町期に慶派と思われる仏師によって新たに作られた。
が、出来上がったのは十一面観音ではなかったため、頭上に十一の仏面が付け加えられたようだ。
( 東漸寺観音堂の行基作の馬頭観音像は鎌倉期に新たに作り直されたとか… 最初に龍禅寺に安置された十一面観音は平良文が院派の仏師に依頼したものだった可能性もある… )-------------------------✂ キリトリ線------------------------------長禅寺三世堂が十一面観音を守本尊とする将門新皇の勅願所として創建されたと伝えられる。
長禅寺の御本尊である地蔵菩薩像は御厨三郎将頼が守り後世に伝えたという。
-------------------------✂ キリトリ線------------------------------将門の母が龍禅寺へ子宝祈願で何度も参拝すると、龍禅寺の守護神である紅龍が突然出現し、腰を抜かした母親がその場で将門を産んだとか。
この紅龍は龍禅寺から利根川を挟んで向こう岸にある紅龍山の岩窟に住んでいたとか。
将門の母は、平良将が釣りに出かけたときに見つけた娘であったといわれ、この娘が実は紅龍であったという伝承が布施弁天で知られる紅龍山東海寺にある。
山門前の細い道路を挟んだ林の中、大きめの木の後ろにあります。
重文の御堂があります。
道を挟んだ向かいに金精様が祀られてます。
稲戸井駅から歩いて10分弱者、重要文化財の三仏堂があります。
歴史のあるお寺でお彼岸の時もあり普段はお目にかかれない3観音を拝む事が出来最高でした!
歴史の有るお寺さんです桔梗塚も近くに有ります。
静かな場所で、雰囲気の良いお寺さん。
家の菩提寺です。
平将門の時代に建立されたと言う三仏堂があります。
住職もいい人です。
こんな所に国宝が!三仏堂は、もちろん、本堂も立派なお寺です。
静かな住宅街の奥にあり、境内に座ると、静けさと周辺の木々を観て、お寺が出来た当時の平安時代の風景を妄想してしまいます。
の~んびり、訪ねるのは良いですね。
自転車なら「宮の前ふれあい公園」を通って利根川土手から「大鹿山長禅寺」、「旧取手宿本陣」に向かうと歴史ロマンたっぷりです。
先日、墓じまいのためお寺に行きました。
お昼ご飯に寄って食べました。
安くてめちゃくちゃ美味しかったです。
古の雰囲気と五百年前の建物には圧倒されました。
素晴らしい伽藍。
大通りから、くねくね細いわき道をしばらく行くと、着きます。
途中、対向車が来たらどうしよう、と思うくらい細い道でした。
住宅街の中にたたずむ、立派な古刹。
風景にすっかり溶け込んでいて、その場にしばらくとどまりたくなります。
石碑等をじっくり読んで、しばし過去へトリップ。
2018年1月29日に訪れました。
駐車場は寺社内の正門前に5台ほど可能。
入って右側は新築の工事中。
寺社務所は正面に有りますが、ほとんど居ないので、正門の右側(黄色い建物)が臨時寺社務所になってます。
若いお坊さんが丁重な対応で御朱印を頂けました。
三仏堂とは、弥陀、釈迦、彌勒の1木3体の霊像を安置するところからきているという。
三仏堂は、延長2年(924年)」の創建と伝えられるが、承平7年(937年)説法化導の道場として平将門建立または修復し、建久3年(1192年)千葉常胤が修理したという説もある。
竜禅寺に、平将門の愛妾桔梗御前は大須賀庄司武彦の娘で将門との間に三人の子をもうけ薙刀の名人であった。
将門の戦勝を三仏堂に祈願しての帰路、米ノ井 国道 294 号線沿いの現在、桔梗塚のある地で敵将藤原秀郷に討たれたという伝承がある。
国指定重要文化財の三仏堂がありますが、普段は扉が閉まってて中の様子は全くわかりません。
説明板がありますが不親切な図面と繋がらないQRコード。
ステンレスの柵も風景台無しです。
国道からの進入路も狭くて分かりにくい。
ガッカリしました。
国指定重要文化財の竜禅寺三仏堂があります。
名前 |
龍禅寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0297-78-8225 |
住所 |
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評価 |
4.2 |
2023.9.3茨城県取手市にある龍禅寺は、天台宗の寺院である。
境内には、国指定重要文化財の三仏堂をはじめ、多くの見どころがある。
三仏堂は、1569年に建てられた茅葺き屋根の仏堂である。
釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒菩薩の三尊仏を安置する。
三方裳階と呼ばれる独特な平面構成が特徴で、中世の建築様式を伝える貴重な建物である。
秋には、境内にはキンモクセイが咲き誇り、甘い香りが漂う。
また、紅葉も見事で、境内が彩られる。
龍禅寺は、歴史的価値の高い文化財を有する一方で、四季折々の自然を楽しむことができる寺院である。
歴史や自然に興味がある人には、ぜひ訪れてほしい寺院だ。