比企氏縁の地ですがあんまり説明看板無し。
折角なので、妙本寺に来たらこちらもお参りしましょう。
あの井戸が綺麗になりました。
説明の 表示がなかった為良く分からないが 見てきました後で ローカルガイド 映猫kanさんの 説明を見て納得しました。
比企氏縁の地ですがあんまり説明看板無し。
比企の乱で井戸に飛び込んで自害したと言う鎌倉幕府二代将軍源頼家公の妻妾であり比企能員の娘である若狭局姫を祀っているお堂🙏自害した若狭局は後に北条政村の娘に霊となって憑き、日蓮によって供養され祀られたらしい💁u200d♂️今もその自害した井戸もお堂近くにあります🌿🌿お堂も境内も何故か物悲しげな雰囲気が漂っています☘️☘️☘️
蛇苦止堂比企の乱で井戸(一説に池)に飛び込んで自害したという比企能員の娘で2代鎌倉幕府将軍源頼家の妻・若狭局を祀る。
比企の乱とは?比企一族は、初代将軍源頼朝公の乳母を務めた一族であり、党首比企能員は頼朝公の右腕として活躍した武将でありました。
比企能員夫妻は、やがては2代将軍 頼家公の乳母を務め、また、娘の若狭局は頼家公の側室として嫡男を授かるに至りました。
しかし、3代将軍をめぐる北条時政の謀略によって、建仁3年(1203年)9月2日、一族は滅ぼされたのです。
妙本寺の山門を入った先の道を左に入り、階段を上った先にある。
比企能員の娘「若狭局」の鎮魂のために建立された。
境内には蛇苦止の井がある。
建仁3年(1203年)の比企能員の変で、比企ヶ谷の屋敷が炎上する中、比企能員の娘で二代将軍源頼家の側室であった若狭局は家宝を抱えて蛇苦止堂のすぐ近くにある蛇苦止(じゃくし)の井に身を投じ、今でも若狭局が蛇に姿を変えて家宝を守り続けていると伝わる。
『吾妻鏡』によれば、文応元年(1260)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、比企判官能員の娘「讃岐局」に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による説法よって霊は鎮まり快復した。
後に政村は、比企邸跡に若狭局を蛇苦止明神として祀る蛇苦止堂を建立したという。
名前 |
蛇苦止堂 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
若狭局が清らかに祀られてました。
青空が沁みました。