かなり長い間、あまり入山されてない様子。
小早川氏城跡(高山城跡) / / .
高山城(たかやまじょう)は、現在の広島県三原市本郷町にあった日本の城である。
城跡は国の史跡に指定されている。
高山城は小早川氏の居城として建永元年(1206年)、遠平の孫・小早川茂平により築かれた。
その後、小早川氏は沼田小早川氏と竹原小早川氏に分かれたが、高山城は沼田小早川氏(本家)の居城であった。
天文10年(1541年)、竹原小早川家の当主小早川興景が継嗣なく早世したため、毛利元就の三男徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えた。
隆景は天文13年(1544年)同家の当主となる。
一方、沼田小早川家の当主小早川繁平は若年のうえ病弱であったので(失明していたとされる)、隠居に追い込まれ、天文19年(1550年)隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、両家は統合された。
隆景は天文21年(1552年)、対岸の新高山城に居城を移したため廃城となった。
8月にイワオ丸経由、本丸へ登城しようとしました。
イワオ丸までは、何とか行けましたが、本丸までの道は竹藪や草が凄く、また、やぶ蚊等の虫も大量で断念しました。
地元の方に聞いたところ、駐車スペースがある登り口からだと本丸までなんとか行けるそうです。
また、画像のようにロープを掴んだり危険な箇所もあるため、山城に慣れていない人は、雨の日は登るのを控えた方が良いでしょう。
新高山城より郭巡りが楽しいと感じた。
新高山城跡から沼田川を挟んで反対側。
崖が剥き出しの場所が目立つ。
また、山の中腹まで住宅街が見られる。
地元の方々によると山道はそれ程整備されておらず、イノシシもいて登山はおススメしないとのこと。
典型的な山城に手軽に登れます。
まだ未整備なのがよい。
かなり長い間、あまり入山されてない様子。
のぼりのポールと吹き流しだけでした。
登城口は住宅街を登り詰めたところに目印があります。
登城道は一般コースと健脚コースに2つあります。
上りは健脚コースを使用しました。
岩場が多いですが比較的上りやすいです。
下りは一般コースを使用したのですがこちらは道が狭く、枯葉も多いため滑りやすいので正直こちらの方が危険です。
山上では目印となるのがイワオ丸しかないため、曲輪跡が結構あるのですがどの曲輪なのかがわからないのが残念でした。
数年前に某山岳会の記録作業で一人歩きました。
本郷駅西側の踏切を山側へ歩くと、写真に有る赤い自販機の家が有る。
その前を通り、その先の右側坂道の小路を登って行き、墓地を抜け真っ直ぐ高台へ進む。
団地上のカーブミラーが有る所が大手口の目印です。
地理的には神辺御領、駅家、芦田から御調川沿いを経て、現在の本郷へ抜ける古代山陽道沿いに有り、この地域は真良、梨葉と呼ばれ、五畿七道に設けられた駅家が設置されていました。
高山城跡は、新高山城跡に比べ、見晴らしは今一つ、二つの峰に分かれており、最鞍部は馬場跡となっていました。
山を駆け下り出陣していたのでしょうか。
二つの峰に廓を幾つも築き、写真の赤い葉の木が残る鞍部には居館を設けていたと有り、規模の大きい山城だった様です。
確かに新高山城と比べても、ずっと広かったです。
源平の時代に功績の有った小早川氏によって鎌倉時代に造られ、後に毛利一族の小早川隆景に取られた城で、沼田川(ぬたがわ)対岸に新高山城を築いた後、こちらは廃城にしたそうです。
ここは猪の巣窟で、山へ上がったら、姿は見えないが大きな音をたて逃げて行きました。
本郷駅側が大手口になるのですが、一回りして帰ろうと鞍部に向かいましたら、居館跡の薮の中から、姿は見えないが、シユッシユッと威嚇音が聞こえたので、仕方なく、後ずさりしながら退却、反対側に有る搦め手から下山しました。
最後には攻撃に転じられ、冷や汗もの、搦め手も整備されており仏通寺へ行く道に下りれ、その辺りは今でも真良という地名が残っています。
以上、数年前の事なので、現状は判りませんが、猪には注意が必要です。
現世の城主は猪でした。
山容全体の写真の低い所が馬場と居館の有った鞍部です。
搦め手から下りて、本郷駅へ向かう途中の風景になります。
搦め手口に城跡についての詳細な案内板が有りました。
名前 |
小早川氏城跡(高山城跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.9 |
車で行くと東側の高坂町方面から登れ、集落を過ぎると駐車場と案内板があります。
登口は三尺道、搦手道があり搦手道のほうが急でした。
三尺道にはキチンと積まれた石垣があり大手口を感じさせます。
扇の丸の本丸側にも立派な石垣がありました。
北の丸~二の丸~本丸は広大に削平されておりヘタな小学校の敷地くらい面積がありそうでした。
本丸から直接西側に向かうと藪と急坂になるので難しいです。
高山城はⅡ状の2つの峰から成り、北の丸~二の丸~本丸の峰と、出丸~イワオ丸~西の丸の峰に分かれます。
鞍部に馬場となり、矢竹で一部覆われていますが経路のみ刈られ道筋が示されています。
西丸~出丸には土塁堀切があり西側に大規模な竪堀がありました。
イワオ丸は岩が一部剥き出しになっており岩付近から本郷方面が一望できます。
高野丸~は段差のある切岸ありロープが張られてます。
西の丸からは新高山城が望めます。