土塁に囲まれた神社と歴史。
土橋城跡の特徴
令和6年に設置された土橋城についての看板で歴史を感じられます。
主郭の神社を取り囲む土塁が、城址の魅力を引き立てています。
鳥居をくぐり急階段を登ると、城跡の標柱が見つかります。
主郭は神社があり、それを取り囲むように土塁が巡っております。
土塁脇に標注と真新しい説明板が。
訪問の一カ月前に設置されたようです。
アプローチは南側の参道の急な階段が分かりやすいです。
主郭の北側の畑地が二郭です。
二郭の北側に食い違いの空堀が2本あったそうですが、畑となってよくわかりません。
『千葉県の中近世城館I』や『図説房総の城郭』に掲載されている城郭図(同じものです)に記された道路が畠中の道路と一致しますので、堀跡の畑の判別は可能です。
言われてみればちょっと凹んでるな…程度のものです。
南北朝時代の千葉氏分家の千田大隈守胤貞(北朝)に属した城とされ、建武三年に南朝方の千葉宗家(千葉介)千葉貞胤の勢力により攻め落とされたという記録があります(12人討死、城主不明)。
その後も暫くは利用されていたそうです。
また、当地を「御所台」というのは、古河公方足利成氏が一時期土橋城に拠ったという伝承からといわれていますが、この話は根拠が無いらしく、史実かどうかは疑わしいところのようです。
東禅寺を見て、そこから少し歩きます。
天御中主命神社の周りに低い土塁、畑に浅い堀が残り、遺構は少なめです。
標柱はあります。
目に付くところ看板などはない。
ナビでは辿り着けず、たまたま車を停めた場所が入口でした。
螟蛉塾跡の看板に誘われ、更に目の前にあった鳥居に誘われ急階段を登っていくと標柱があり、城趾でした。
遺構は分からず。
城跡を示す標柱が出来たので、☆1つ増量。
字に御所台とある事から、公方家由来の何かがあると推察されているが、さてどうか。
2020年に自治体の事業で城址として認定されたようです。
Googleマップのナビでは私有地の中を通るように指示されますが、神社に案内の棒が設置されているので素直に階段を登ってください。
かなり急な角度なので注意。
名前 |
土橋城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
2.6 |
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ここの詳細については、令和6年3月とごく最近に作られた看板「土橋城について」を読めば、概ね理解出来ます。
歴史的価値あるものは特にないので、これを読むために行くのようなものです。