家光の宿所として築城された城です。
真田戦記水口城滋賀県甲賀市水口町本丸4−80昨年の暮れに行って来ました。
水口には水口岡山城がありましたが、廃城となり江戸期に入り徳川家光の上洛の際の館として築かせたのが最初です。
作事奉行は小堀遠州。
1682年に加藤氏が2万石で入り水口藩となります。
本丸御殿は家光上洛以後使われることなく解体、明治維新の後、城郭は解体、旧本丸は学校敷地となり、隣接の水口高校のグラウンドになっています。
『お城EXPOin甲賀』の流れで見学に。
濠と石垣の一部が残っていて、資料館が角櫓として建っています。
資料館は靴を脱いで上がる方式で、内部は木造りになっています。
お城があって、濠もある街はやはりいいですね、それだけで趣があります。
元々は家康が上洛する際に立ち寄る用に新しくした城でしたが、家光が一度来たくらいの勿体ない施設。
その為にその後は加藤嘉明の孫がこの施設を守る為に入城。
しかし、守る為なので本丸側にはほぼ行かず状態だったそうです。
現在は本丸側の施設は学校のグランドになってます。
資料館として出城部分に櫓を移築して作られています。
入城料は100円、水口城南駅にある歴史資料館とセットで200円でした。
行くなら春です。
桜が堀に映えます。
周辺地域より見頃が遅め。
運が良ければカワセミ等の野鳥にも会えます。
人がほとんどいないので、思う存分桜の写真が撮れます。
一部城域の水堀が埋められて原形が失くなってますが、過去の遺構の雰囲気が残っていて、想像以上に良かったです。
・駐車場……「水口中央公民館」の裏手に広い駐車場が利用可能、現在は遺構ありませんが「水口城二の丸跡」に駐車🚙・徒歩……水口城址の「御成橋」まで約3分、御成橋の奥はグランドで行き止まり😰・築城……1634年/寛永11年、作事奉行/小堀遠州(大名であり名作庭家、現二条城の庭も作庭)、3代将軍/徳川家光の上洛のために新築、別称「水口御茶屋」、結局この1回しか使用されず、何と1回のため😲・構造……本丸と二の丸(本丸北側)の二郭の縄張、本丸だけ水堀で囲われ、二の丸は土塀や柵などで境界、本丸は正方形で東西南北の四隅に平櫓の御矢倉が建っていたんですね🤔・現在……大手外枡形虎口部分と乾(北西)櫓台下だけ石垣が現存、資料館は廃城令時に民間に売却された平櫓の乾櫓を2階造りに改築移設、雰囲気を醸し出しています。
水堀が約9割残っていて東~南~西~北の駐車場まで周囲をぐるっと歩くと大きさなど実感、中々、面白いので散策してみて下さい🚶城の石垣を近江鉄道の敷設工事に使用したとは時代ですね。
・江戸時代その後……~1682年まで「番城」で幕府管理、1682年に2万石で加藤嘉明の孫/加藤明友~1695年に鳥居元忠の子孫/鳥居忠英(名君/2万5千石)~1712年に加藤明友の孫/加藤嘉矩(譜代格に格上げ/3万)入城し明治維新まで加藤家9代が続きました。
本丸は将軍家から預かっていると言う事で明治維新まで使用されなかったそうです、これも歴史ですね❗️・お願い……乾櫓台下の石垣に草木増殖、将来的に石垣が孕んで倒壊の可能性があるので、何とか今のうちに草木取り除いて欲しいです🥺
元々は徳川家光の上洛時の宿として建てられたのが水口城で非常にコンパクト。
その後は使われず、後になって水口藩が成立するに至る。
明治になって石垣は近江鉄道の敷石になり、御殿は解体され、本丸は高校の運動場になった。
ただ、昭和後期から価値の見直しがあり、遺構の再整備がされている。
写真に写っている「水口城」は、本丸の外桝形だったのを訪問して知りました。
メインの本丸は高校のグラウンドになっており、入れないようです。
周辺を歩きましたが、夏のせいもあるのでしょうか、石垣にもかなり草が絡みついてました。
この辺りをもう少し整備してほしいものです。
駐車場は、隣の公民館駐車場を利用しました。
水口城は3代将軍徳川家光が寛永11年(1634)京都上洛の際の宿館として築城水口藩は甲賀・蒲生を中心に2万5千石を領有し、小藩ながら水口・日野など地方都市を治めました。
別名「碧水城」は、湧水を利用した堀に青い水をたたえていたことから、明友が命名街並みに溶けたお堀と御矢倉 桜はもう終わり頃でしたが残り花を風が散らして 癒されました。
駐車場は近くの公民館ということで停めましたが、お城が右にあるのか左にあるのか、どこにあるのか分からない。
それでマップを頼りに少し歩いて到着です。
城跡ということで何もないと思ってたら、お堀に城壁に城っぽい建物。
これだけで大満足です。
入館して中も拝見しましたがスタッフさんの対応が良かったですね。
中で紹介ビデオを見てよく分かりました。
徳川家光が、上洛の時に、宿館として、築城して、その後水口潘と、して二万五千石の、居城になる、平成3年11月に、櫓石垣あとに、水口資料館が、建ちました。
前から気になっておりましたが、ここも入場できるようですね。
知らぬこととはいえ、今日は水口高校のグランド側か裏口入場しましたが、清掃かメンテナンスかの関係でどちらの扉も空いておりました。
私は出身が姫路で国宝、世界遺産の姫路城は馴染みがありますし、その後大学は彦根だったので、城自体は好きですが、こちらは城の櫓史料館があるだけで特に興味を抱くものはありませんでしたが、石垣、お堀、櫓門などそれなりに歴史の重味を感じさせるものでした。
史料館内部の入場もそれほど高くはないのでそのうち入りたいと思います。
先だってもお堀のまわりを時計まわりに散策しましたが、ずいぶんたくさんな鯉がいましたね。
亀もなにがめかわかりませんが、杭のところで甲羅干ししているのが見えます。
せっかくの施設なので庭園も整備して気楽に入れるようにしてほしいですね。
徳川家光が上洛するためにつくられた注水杭がないのに水がかれないことから碧水城とも呼ばれる城を一周、いい散歩になる現在はグラウンドとして使われている。
木曜日、休館は残念でした。
お城の町と書いてあるのですから、祭日であればオープンしてほしかった。
でもなんのために作ったお城か看板見てわかったからいいです。
城跡はほぼグラウンドになっておりごく一部が資料館として整備されている。
資料館の櫓やら石垣は擬似再建であろうがお濠など雰囲気がよく残っており薄っすらとではあるが往時の雰囲気がわかる。
お濠の周りはよく整備されており周回しつつの散策は心地よい。
お濠の整備がもう少しキチンとなされたらより良い城跡公園になるのでは、と感じる。
総じて心地よい空間であった。
名前 |
水口城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
雰囲気の良い城跡です。
濠も空壕ではなく水をたたえ通行は禁止ですが橋も良い味わいを出しています。
東海道の要所で軍事的目的だと思っていましたが、ここに関しては将軍家光の宿館で京都二条城をモデルとした、おそらくは豪華絢爛な館であったことに驚きました。
周辺は交通量が若干多い幹線道路と住宅がありますが、堀周辺は桜が植えられているので花の季節も良いでしょうね。