名前 |
千家尊福の像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
「千家尊福」(せんげたかとみ)は出雲大社の第80代(1872年-1882年)の宮司を務めていましたが、国家神道との宗教的見解の相違を知って、神道事務局から独立して教化活動をする必要があると考えました。
そのため、1882年(明治15年)に出雲大社の宮司を辞職して弟の千家尊紀 (せんげたかのり)に国造と宮司を譲り、自身は出雲大社教会を創始して神道大社派を設立しました。
神道大社教管長(1882年-1888年)の時には、精力的に全国を歴訪して布教に専念されています。
その後、男爵の称号を与えられています。
1888年には伊藤博文の推挙で元老院議官となって教管長職を辞職、その後さらに、貴族院議員、埼玉、静岡、東京の知事、第一次西園寺内閣の司法大臣、東京鉄道株式会社社長などを歴任されています。
また、「一月一日」という有名な唱歌(年の〜始めの〜♪)の作詞もしていることから、詩人や歌人としての才能も発揮されています。