芭蕉の句碑もあります。
小林本陣跡は立札を残すのみですが、すぐ近くには往時を偲ばせる弁財天もあり、芭蕉の句碑もあります。
旧中仙道は、いまも車が行き交い、街道歩きをしている方々も、よく見かけます(*^^*)なお、新町は文字通り新しい町という意味です。
慶安4年(1651年)落合村と笛木村が中仙道の伝馬を命ぜられたことから、新たに宿場町が生まれ、新町と呼ばれるようになったそうです(^_^ゞ
新町宿にあった2軒の本陣のうちの1軒。
道を挟んだ向かい側が、もう1軒の本陣である久保家。
中山道の倉賀野〜本庄宿間はかつて藤ノ木河岸を経て神流川北岸の玉村(角渕)経由であったが、正保年間(1644年 - 1648年)に加賀藩前田氏により当地を通る街道(加賀街道)が開かれ、1654年(承応3年)には加賀街道が中山道となる。
小林本陣跡は立札を残すのみですが、すぐ近くには往時を偲ばせる弁財天もあり、芭蕉の句碑もあります。
旧中仙道は、いまも車が行き交い、街道歩きをしている方々も、よく見かけます(*^^*)
名前 |
中山道新町宿・小林本陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
新町宿は上野国に入って最初の宿場です。
中山道開設当初は新町宿はありませんでした。
神流川野や烏川の川渡りを控えて、宿場が無いと不便であるということから、中山道が開設されてから50年経ってできた宿場だそうです。
新町宿が最も栄えたのは、文化・文政期から天保期(1804年~1844年)にかけてだそうです。
小林本陣は久保本陣や三保本陣と共に参勤交代の定宿だったそうです。