面白い偶然だと思います。
熱心なキリスト教伝道者であった内村鑑三の旧宅が、いまでも盛り場として知られる柳川町にあったというのは、面白い偶然だと思います。
江戸時代の高崎は城下町であった為、風紀の取り締まりも厳しく、遊郭を作ることも、宿場の旅籠に飯盛女を置くことも禁じられていました。
酒席に女性を呼ぶことさえもできなかったので、遊興のためには新町宿まで出掛けて行ったといいます。
ところが、明治維新で取り締まりが緩んだのを幸い、田中祭八という者が、高崎城の北にある「柳の馬場」と呼ばれていた空地に、女性を置く飲食店を開業しました。
これを見て、それこそアッという間に、怪しげな店が軒を連ね、歓楽街に変貌しました。
もともと柳が多かったので「柳町」のちに「柳川町」という粋な町名が付けられて、今日に至っています。
ここで少年時代を送った内村鑑三も、そんな町の雰囲気には触れたことでしょう。
ただ、高崎藩士の家に生まれ「自らを三度鑑みよ」という父の教えを守った少年は、悪所にも足を踏み入れることもなく、内省的な生活を送ったと思われます(^_^ゞ
名前 |
内村鑑三旧宅跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
旧宅跡と言うだけで何も残っていません。