中山道〔新町宿〕の京都側入り口の弁天社に芭蕉句碑がある(県道178号線の温井川に架かる橋の手前)。
むすふより早歯にひゝく泉かな はせを安政2年(1855)6月の建てられた碑。
江戸側の入口の八坂神社にも芭蕉句碑が建っている。
傘におしわけ見たる柳かな 翁こちらは天保10年(1839)建立の碑で、〔柳茶屋の芭蕉句碑〕と呼ばれている。
隣接道路からも公園からも下がっていて良い雰囲気。
名前 |
弁財天 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
県道178号線から弁財天公園駐車場へ入り、一見神社らしきものは見当たらず、「かなり太いケヤキの木があるなぁ」と木に近づいて見たら、そこから一段下がった区画に鳥居が見えて、「弁財天」石祠と芭蕉句碑、庚申塔に道祖神石碑がありました。
弁戝天由来温井川の中の島に祭られた弁財天は治水の都合で昭和四十八年(1973)に現状となりましたが七福神中の女神であり音楽弁舌福徳財宝をつかさどる神として信仰をあつめています。
社は天明三年(1783)五月に建立されました。
石の祠で昭和五十八年(1983)祭祀二百年に当たるので参道改修大鳥居を地区有志により奉納しました。
例祭は毎年春巳の日に行われています。
境内には芭蕉の句碑があります。
この島には清冽な清水が湧でていて旅人の喉をうるおしたとの句です。
(境内案内板より)弁天島の芭蕉句碑弁天島は、新町宿の西端を流れる温井川の中洲の小島で、弁財天の祠がありました。
新町宿は江戸時代から俳諧の盛んな土地で、俳聖芭蕉を敬慕する気風もあり、落合新町と笛木新町にも芭蕉句碑が現存します。
「むすぶより はや歯にひびく 泉哉 はせを」とあり、安政二年(1855)久保一静、斉藤速水らによって建てられました。
島にはみどりの清水と呼ばれる水が湧き出て、往来の旅人は足を止め、喉を潤したと言われています。
(境内案内板より)弁財天の北側に温井川(ぬくいがわ)が流れ、温井川はこの後烏川に合流します。
その後神流川が合流し、そして利根川へと注ぎます。
弁財天が温井川の中洲だった頃の風景と現在の風景は、恐らく大きく変わっていて、当時の旅人が感じた風情は現在は失われているでしょう。
しかし、地域の人達の取組みは立派で、弁財天の保存や弁財天公園の大ケヤキの保全、目の前にあるしばふ公園の整備などによって、当時の風情とは違ってはいますが、とても清々とした気持ちの良い空間となっています。
また地域では、明治十年(1877)の全国からの労働人口が集中した時代の「官営新町屑糸紡績所」の保存や、自衛隊の誘致なども行っており、歴史遺産・産業遺産を生かしたまちづくりだけでなく国防の少しにも協力し、家族を思うように地域を思っている地域の方々の意識の高さが見えるような気がします。