こちらは一人も居らず、ゆっくりお詣りしました。
令和二年一月七日本堂の方は人がいっぱいでしたが、こちらは一人も居らず、ゆっくりお詣りしました。
治したい怪我や病気を左右の手のひらに書いて合掌し、薬師如来の御真言「オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ」と三回お唱えしましょうと書いて有ったので左膝痛と書いて御真言を唱えました。
左膝の痛みが無くなったら良いなと思いつつ帰りました。
(19/10/01)「薬師如来」御朱印を社務所でいただきました。
妙見宮内にある薬師堂です。
堂内に薬師堂如来、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、 不休息菩薩、虚空蔵菩薩、「かかえ地蔵」(おもかりさま)の七体の木像が安置されています。
御朱印は妙見宮で頂きました、側に小さな神社が、3つ有ります。
沢山の赤い鳥居で通路が作らています。
妙見宮、(通称妙見神社)の境内にある薬師堂です。
妙見宮の社務所にて薬師堂の御朱印も1社300円にて頂けます。
薬師堂の由来(由緒書きより)堂内には右より薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、不休息菩薩、虚空蔵菩薩の六体の木像が安置され、昭和二十年の終戦後「かかえ地蔵」(おもかりさま)も安置されています。
またこの堂に近接して、安政五年三月建立の年号や建立の由緒、建立者十六名の芳名を誌した石碑の上に観世音菩薩の座像が石で彫まれ安置されてあります。
さてこの薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来,虚空蔵菩薩の四体の木像は文徳天皇仁寿三(西暦八五三)年九月ニ十九日に太政大臣藤原良房が妙見宮に家臣難波葛麿を使者として奉納したものであります。
この四体は天文二十一(一五五一)年十一月,大友勢の兵火にかかり、足立山葉山堺の谷にありましたのを約二百年経った徳川時代明和11年樵夫が発見しこれを妙見宮に再び納め、明治八年八月六日現在の位置に安置されました。
昭和三十四年谷口九大教授が鑑定したところ、現在の仏像は奉納当時のものではなく、室町時代中期の作品と推定され、これらの木彫像が刻まれた時には、平安初期の奉納当時の仏像がまだ残っており、これを模作したことも考えられます。
また堂内の1基、虚空蔵菩薩は「コクウクラ」と読み得ることから、小倉の地名の起源は虚空蔵即ち妙見さまの本地仏名から起こったという説も残されています。
明治時代の神仏分離等迄は、神仏習合の信仰形態ですから、当時の信仰を現在に残す全国でも数少ないものといえます。
名前 |
薬師堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
少し気付きにくいですが本殿の右手の奥にあります。
赤い鳥居が並んでいて来て良かったです。