江戸初期の寛永年間にも2度伽藍が焼失しています。
重要文化財。
現在の門は、2007年から2年かけて大修復が為され、慶安2年(1649)建立当時の姿を取り戻したそうです。
お台場から水上バスで浅草に。
推しのライブが浅草劇場であったのでいそいで雷門から行けずこちらから通りました。
人力車のフォトスポットになってたのをYouTuberで見てたので😅通った時も写真撮られてました📷なかなか綺麗な門です😃
二天門の奥に浅草寺が見えます。
夜のライトアップが綺麗です。
左に増長天、右に持国天、二体の仏教の守護神が置かれています。
国指定重要文化財です。
浅草寺は初詣客でごった返しですし、雷門も同じ感じですが、奥浅草側から入る二天門は静けさすら感じるほどで、ここから入るのがお勧め。
持国天(右)・増長天(左)の二天が奉納されて二天門浅草寺の東門。
詳しくはわかりませんが、歴史的な門なのに見学者はごくわずかでした。
近くにいかれる際はぜひ見学してみてください。
きれいにお色直しされていました。
門から眺める景色はなかなかです。
1986/3/29来訪。
35年前の写真です。
それ以降も行ったことはあるのですが、写真があるのはこのときだけです。
浅草浅草寺の二天門になるここは浅草寺に向かって右側に位置してる門でもあり浅草神社の直ぐ隣りにも位置してる門だよ🙄
浅草寺の東側にある「二天門」。
東の押上にある「スカイツリー」が出来てからはとても良い写真📷が取れるスポットとして賑わっています。
東京大空襲にてほとんどが焼失してしまった浅草寺の中では江戸初期の建築がそのまま残っていると言う事で文化財としても貴重です。
かつては浅草神社の随神門としても機能していたようですが、明治の神仏分離令により、浅草神社と浅草寺は別けられて現在のカタチとなったようです。
(神像は浅草神社に移設され、今は「天」が鎮座しています)浅草寺には雷門、宝蔵門、そしてこの二天門とホントに特徴的な門があります。
浅草寺の門。
空襲で焼け残った歴史ある門のらしいです。
自分は、浅草神社参拝の気分を出すためにこちらをくぐりました。
こちらの門から見る、浅草寺の本堂もなかなかいいと思うのですが。
門から近くに、12月に咲く桜の木が一本あります。
他の人は紅葉とかにきを取られて見てないようです。
もともとここにあった像は、浅草神社の方にあるようです。
浅草寺 二天門の早咲き桜かな?寒い中いっしょう懸命に咲いていました。
今年の冬はとても暖かいので桜も少し早いかな?
観光バスを降りるとこの門の前。
浅草観光のワクワク感が高まる。
本堂の東に建つ朱塗りの門で、今の門は1649年に浅草寺の東門として創建された。
当初は随身門といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像として左右に祀っていた。
1884年、神仏分離によって随身門に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納された。
このとき名称を随身門から二天門と改めた。
この二天の像は、1945年に修理先で戦災にあって惜しくも焼失し、現在の持国・増長の二天像は、1957年に上野・寛永寺の厳有院から拝領した像。
門に向かって右が持国天、左が増長天である。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であり、国の重要文化財に指定されている。
2010年に改修を終え、創建当初の鮮やかな姿によみがえった。
私はバスを使って浅草寺に行くときはこちらから入ります。
入り口前にはマツキヨもあります。
外人さんはそちらで生活必需品を買います。
入るとまず浅草神社があります。
こちらをお詣りしてから浅草寺に行きますが、今は外国人が多くて修学旅行の学生より多くてどうなんでしょうか。
浅草寺本堂東側、東に向かって建つ、重要文化財。
切妻造の八脚門、1618年(元和4年)建立で、太平洋戦争の東京大空襲にも火災炎焼を免れた貴重な建築物。
現在、門左右の二天の持國天・増長天は上野寛永寺の徳川家綱の霊廟・厳有院から移築されたもの。
本堂の東に建つ朱塗りの門で、今の門は慶安2年(1649)に浅草寺の東門として創建された。
当初は随身門といわれ、豊岩間戸命、櫛岩間戸命を守護神像(随身像)として左右に祀っていた。
神仏分離によって随身門に安置されていた随身像は、浅草神社に遷座されて、鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が奉納された。
このとき名称を随身門から二天門と改めた。
この二天の像は、昭和20年(1945)に修理先で戦災にあって焼失し、現在の持国・増長の二天像は、昭和32年(1957)に上野・寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から拝領した像。
門に向かって右が持国天、左が増長天である。
二天門は境内に残る江戸時代初期の古建築として貴重であり、国の重要文化財に指定されている。
二天門を潜り行く方の殆どがご存じ無いようですが、この門は三棟造という奈良時代の様式で作られています。
門の中から見上げると、真中の梁を境として両側に棟があるのがわかります。
しかし外から見れば、棟は一つ。
奈良法隆寺の東大門・東大寺の転害門が有名ですが、平城宮に再建されている建部門でも奈文研のお陰でこの様式が採用されています。
雷門も同じく三棟造ですが提灯のため若干見えづらくなっています。
こちらからはスカイツリーを眺めながらの景色が楽しめます。
門自体が古くから存在しているものです。
すばらしい門です♪
隅田川から歩いて来るならこちらから。
数少ない(笑)境内の重要文化財のひとつ。
向かって左が増長天像、右が持国天像です。
2011年に営繕が終わったばかりで綺麗になりました。
夜は怪しい色のライトアップが施されています。
名前 |
浅草寺二天門 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3842-0181 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
浅草寺二天門重要文化財(建造物)指定:昭和21年11月29日浅草寺は長い歴史の中で何度も被災し、江戸初期の寛永年間にも2度伽藍が焼失しています。
そのため、寛永13年(1636)には、寺内にあった東照宮が江戸城紅葉山に遷座されました。
二天門は、その東照宮随身門と伝わり、創建は元和4年(1618)ですが、現存するものは慶安2年(1649)頃の建築と考えられます。
明治初年、神仏分離令によって随身像は、仏教を守護する四天王のうち東方と南方の守護者である広目天・持国天の二天像が鶴岡八幡宮から奉納され、門の名も二天門と改称されました。
二天門は木柄が太く重厚な建物で、桁行8.13m、八脚門、切妻造、本瓦葺、三棟造みつむねづくりという形式です。
三棟造とは、門の前方間と後方間のそれぞれに三角形に組んだ屋根型の天井を設け、本来の大屋根の棟と併せて棟が3本あるように見えることから、このように呼ばれます。
近世においては、旧台徳院霊廟惣門(寛永9年(1632)・港区)など徳川幕府と関連のある建物に多く見られる形式です。
また、全体に赤色塗装がされていますが、柱など軸部は黒みがかった赤のベンガラ漆塗り、組物や軒廻りは明るいオレンジ色の丹塗りに塗り分けられているのが特徴です。
(東京都教育庁地域教育支援部管理課HPより)