鹿之助の碑は登山道入口付近にあるので、車いすでも後...
山中鹿之介追頌之碑
戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。
鹿之助の碑は登山道入口付近にあるので、車いすでも後押せば行けます。
スポンサードリンク
根城 中馬屋
来客の馬をここで預かるためにあったそうです。
長い馬屋があります。
討死した坂田庄三郎の鎮魂の墓碑です。
坂田庄三郎の墓
駐車場はありませんでした。
討死した坂田庄三郎の鎮魂の墓碑です。
日本一銀杏の郷 内閣総理大臣安倍晋三書。
日本一銀杏の郷碑
銀杏並木がきれいー、ぎんなんは一つもなかったが。
日本一銀杏の郷 内閣総理大臣安倍晋三書。
説明文に伝承によればと一文入れておけばいいと思いま...
多聞丸(楠木正成) 大江時親に学ぶ像
説明文に伝承によればと一文入れておけばいいと思います。
2018(平成30)年に新設された像です。
スポンサードリンク
光あまねしの碑
所沢に住んでいた頃この木漏れ日の場所が好きです自転車でよく来ました。
木かげで涼しく、心地よい風が吹いていました。
中々味わい深い趣があります。
ハケの道と湧水
京北に買い物に来る機会のある方は一見の価値あり。
中々味わい深い趣があります。
近隣への配慮はしてください。
嘉手志の石獅子
ドープAF。
近隣への配慮はしてください。
玉縄城七曲り虎口
玉縄城に登っていく感じをもっとも感じられる坂の入り口。
玉縄城関係だと城的な感じを感じられる数少ない場所です。
のんびり散歩できます。
水城の渡し跡
のんびり散歩できます。
水城老松宮の辺りの渡し場で上陸し、国分の衣挂天神の辺りを経て苅萱の関を通って宰府に向かったと言われている。
後白河院の第3皇子でありながら不遇の身であった以仁...
高倉宮址
平家討伐に最初に立ち上がった以仁王の邸宅でした。
後白河院の第3皇子でありながら不遇の身であった以仁王の御所の跡。
花宗堰
初めて見た人にとっては当たり前じゃない懐かしい景色。
料亭のような家があり、そこに住んでいたことがあります。
茅原狐塚古墳
★茅原狐塚古墳へのアクセス★北側の踏切はとても狭く車が通れません。
21.5.4私有地床面が水浸し入って挨拶したけど怒られましたコレは初めて。
登山口が見えます。
天羽城跡
登山口が見えます。
充分訪問可能な状態です。
城址の入口でもなく、河村氏の館跡です。
河村館跡
城址の入口でもなく、河村氏の館跡です。
徒歩ではきつい距離でした。
燈篭山古墳
全長110mの前方後円墳、築造時期は4世紀前半と推定。
墳丘長110m前方後円墳。
水野太郎左衛門宅跡(/≧◇≦\)
尾張藩鋳物師頭 水野太郎左衛門宅跡
水野太郎左衛門宅跡(/≧◇≦\)
その昔は尾張の釣鐘や鍋釜の製造販売を一手に引き受けていた水野太郎左衛門の屋敷が建っていたそうです。
十三塚遺跡(縄文時代)
この周辺には竪穴式住居跡が沢山あり調べれば調べるほど面白い場所のようです。
現在は都市公園として保存されており、墓跡はありません。
柳ケ瀬関所跡
かつての街道の家並みと清冽な引き水が賑やかだった頃を伝えてくれる。
雪の多いところです。
(2019/09)奥深い洞窟の井戸。
アマガー
かなり奥まで下ります。
(2019/09)奥深い洞窟の井戸。
府中用水取水樋門
また水喰土もあり断念し、その後、途中まで開削したこの水路を府中用水とした、という説もあります)からのものですが、この水門は明治期のものです。
それぞれ見どころ満載でしたわ〜。
ハンター坂
神戸を代表する坂の一つ。
それぞれ見どころ満載でしたわ〜。
天誅組「吉村寅太郎」寓居跡
石碑が有るのみです。
中京区木屋町通二条上ル上大阪町にあるのが「吉村寅太郎寓居跡」の石碑と駒札になります。
歴史ある神社の跡地です。
小濱神社社跡
いい天気でした。
歴史ある神社の跡地です。
四ツ足門
歴史的建造物。
本百姓で功績のあったものだけが許されて四ツ足門を建てることができたのだそうです。
下関市長府の尊攘堂と兄弟です!
尊攘堂
下関市長府の尊攘堂と兄弟です!
謡坂
湯河原の土肥実平公が踊り男号に💃🎉になった所。
謡など余裕は無く追手に発見されたら命が危ない。
半田銀山 二階平坑口跡
昔の人は、凄かった。
鍵があると中まで見れる( *˙ω˙*)و グッ!
函館山には軍事遺構があちこちにあります。
千畳敷第一砲台
砲台跡がなんとなく侘しさを感じる。
函館山には軍事遺構があちこちにあります。
棟方志功出生の地です。
棟方志功 出生の地 碑
棟方志功出生の地です。
棟方志功記念館に行った後に駅の近くをブラブラしていたら発見しました。
こんなとこにあるとは知りませんでした!
須木下田の田の神
崖の途中に鎮座されている田の神さぁ。
こんなとこにあるとは知りませんでした!
ここで旧水戸街道と成田街道とが分岐する。
我孫子宿、水戸道、成田道追分
綺麗に整備されました。
ここで旧水戸街道と成田街道とが分岐する。
思わず、通り過ごしそうになります。
地蔵の小径
旧中山道から子育地蔵に行く案内石塔。
思わず、通り過ごしそうになります。
お舟石
この石は神の召された舟であると伝わっている。
大きな石です。
「鈴屋大人(本居宣長)寓講学旧地」の碑
ビルのすき間に何の掲示もなくひっそり存在する。
本居宣長は江戸時代の国学者で鈴屋と称していました。
清洲会議の主役三法師の終焉の地 その後の人生がどう...
織田秀信公墓所
墓の無い人生は儚い。
道路沿いの看板から少し上がったところにあります。
デフォルメされた、ユニークな形です。
木原石仏
狛犬の代わりに愛嬌のある石像が立っています。
デフォルメされた、ユニークな形です。
小部の歴史を感じさせてくれる場所。
小部峠宝篋印塔
小部の歴史を感じさせてくれる場所。
やきもち地蔵に行ったときに勧められた小部峠
の宝篋印塔を見に行ってきました。
屋根有り公衆電話有りベンチ有りバス停『射和』
三重電気鉄道松阪線射和駅跡
屋根有り公衆電話有りベンチ有りバス停『射和』
かつて三重県松阪市の松阪駅から櫛田川中流の大石駅までを結んでいた三重電気鉄道松阪線の駅跡。