古代の場所とは言うものの近代化の史跡。
平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地) / / .
東九条の崇仁地区と言われる場所にひっそり建っています。
京都駅から歩くと恐らく20分程度はかかると思います。
平清盛の最期の地。
歴史マニアであれば必見ですが、通常の京都観光をする方には不要なルートかもしれません。
個人的にはこういう場所好きですけどね!
ここで平清盛が最期の時を迎えたのかと思うと感慨深い場所です。
京都駅から程近くの集合住宅の前に碑があります。
家族誰も来たがらないのに自分一人のわがままで行ってきました。
行ってよかったと思っています。
ここであの平清盛が終わったと思うとね。
大して詳しくないけど。
でも行く価値ありかな?駅から歩いていく途中街中を散策する楽しみもありますから。
目立ちはしませんが、石碑とパネルがあるので前を通れば見過ごすことはありません。
栄華を極め、教科書に必ず載っている人物がここで没したということを思うと、歴史の浪漫を感じます。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず。
ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
」もし、ご本人が聞いたらどんなリアクションをするんだろうか。
東京極大路の線上に当たるようだ。
(平安時代にここに東京極大路があったかは要確認。
鴨川にえぐられて六条から南の道は放棄されたのかも。
)
塩小路須原の交差点を南向きに行くとJRの高架があり、それをくぐってすぐ西側の市営住宅の前にひっそりと「平清盛終焉推定地」の石碑と説明書のパネルが有ります。
この辺りに平安時代末期、平清盛の側近として活躍した平盛国の邸宅があったとさるところです。
この邸宅で平清盛が没したとされています。
石碑とパネルがセットであったので見つけやすかったがどちらか1つなら見落としてたかもしれません。
小さな碑と解説板があります。
今はポケモンGOのジムに設定されており、源氏と平家に代わって日夜ポケモンマスターどもが戦闘を繰り広げています。
清盛の家臣である盛国の屋敷があった場所高熱で熱くなった身体を冷やそうと比叡山延暦寺の湧水をぶっかけて御仏の御加護をって事だったんでしょうね?現代であれば熱がある病人に冷水を浴びせるなんてとんでもない事なんですけどね。
単なる普通の道にあり、初めて発見した時、感動と言うより、ここなのという感じでした。
思いを馳せると…
大河ドラマの後で作られた碑です。
当時の平家の屋敷がどこにあったか、現代の地図と重なっています。
見つけにくいですが、ファンなら是非一度は足を運んでください。
八条口から徒歩8分ほど。
名前だけ聞くとおどろおどろしい情景を想像したのですが普通のマンションの前にある小さな道標みたいな碑です。
GCの方は是非。
古代の場所とは言うものの近代化の史跡。
大河ドラマの後で作られた碑です。
当時の平家の屋敷がどこにあったか、現代の地図と重なっています。
見つけにくいですが、ファンなら是非一度は足を運んでください。
八条口から徒歩8分ほど。
石碑があるのみです。
名前 |
平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://genpei.sakura.ne.jp/genpei-shiseki/tairanokiyomorisyuuenochi-takakuratennoutanjyounochi/ |
評価 |
3.7 |
平清盛は、治承5年(1181年)閏2月4日64歳で病死したとされています。
その終焉の地はJR京都にほど近い一画にありますが、ここは側近平盛国の邸があった場所であり、清盛の義妹滋子が高倉天皇を生んだ場所でもありました。
清盛の死後4年目に壇ノ浦で平家が滅亡したことを思うと、まさに清盛の人生とともに平家の栄枯盛衰があったことになります。