とてもこじんまりとした神社です。
勿来の関伝承地
歌枕の勿来関は地名や川(古来:名古曽川 現在:勿来川)などを考えるとこちらだと思う。
昔を偲ばせる、こんな所に関所があつたんだと思いました。
スポンサードリンク
学士会館の角近くに説明板と碑があります。
新島襄生誕地
どちらかというと明治時代に活躍する。
京都同志社の創立者である新島襄が生まれた場所です。
乳くれ地蔵
有名な場所です。
軽くしか逸話を知らなかったので今知りました。
中門跡
中門の跡が整備されてのこされています。
古代官道である東山道武蔵路の東側に造営されました。
『新・喜・多』の意味がよく判ります。
新喜多会所跡
この辺り江戸中期、新しく開発された水田があったところだ。
その時はまだ咲いてはいなかったですが咲けばさぞやきれいだろと思う。
スポンサードリンク
植苗トーチカ
歴史あり、ですね。
わだちで車の腹を擦るようになったので引き返した。
残念ながら雨が降っていました。
広渡廃寺跡
残念ながら雨が降っていました(原文)Sayang tadi kehujanan
史跡自体は月曜日も含めて常時公開されている。
元興寺の五重小塔が安置されていた。
元興寺小塔院跡
元興寺(小塔院跡):当小塔院跡地はかっての元興寺が分断された三か所の一つです。
元興寺の五重小塔が安置されていた。
近くにある街山八幡社が出来たそうです。
霊水池
街山八幡社を創建する際に八幡像を奉仕したと言われる場所。
街山八幡社の近くにひっそりと祠が建てられています。
町人など行き来を想像します。
野坂御番所跡
説明書きが残るだけです。
野坂峠は長門国と石見国の国境の地1608年、長州藩が御口屋番を命じた藤井家が四代に渡り78年間、旅人や通過物資の監視にあたった番所1686年...
説明が書いてある案内板があるだけです。
永井荷風旧居断腸亭跡
説明が書いてある案内板があるだけです。
今は説明の立て看板しかありません。
永井荷風が生まれ育った家の側にある坂。
金剛寺坂
永井荷風が生まれ育った家の側にある坂。
橋の上から丸ノ内線のトンネルの入り口が見えますよ。
国の指定史跡に指定されています。
水上石器時代住居跡 大久保遺跡遺構 (2号住居跡)
場所が分かりにくい。
ここに住み込みで働けるかしら。
黒岩の地名のいわれとなった場所。
黒岩さん
黒岩の地名のいわれとなった場所。
パワースポットのひとつ。
本阿弥光悦京屋敷跡
上京区油小路通五辻下る東側に「本阿弥光悦京屋敷跡」の石碑と説明書きの駒札があります。
拭い、目利きのいわゆる三事を以て世に重きをなした、本阿弥家代々の屋敷跡として「本阿弥辻子」の名を今に遺している。
何年も通っていた通勤路脇の公園。
クーデンホーフ光子 居住地
何年も通っていた通勤路脇の公園。
オーストリアの伯爵家クーデンホーフと日本の関係が学べます。
最古のおにぎりが出土した場所とのこと。
杉谷チャノバタケ遺跡
日本最古のおにぎりが、出た場所。
最古のおにぎりが出土した場所とのこと。
遙か昔に思いを馳せられる場所。
常盤地蔵
遙か昔に思いを馳せられる場所。
源義経公の御母堂である常磐御前と所縁のあるお地蔵様です。
日露戦争に向けて造られた砲台跡です。
砲台跡
温泉の前の駐車場から登ると頂上にいける。
ただ(原文)그저
日本武尊の伝説があります。
御所ヶ崎
現在は公園になっています。
日本武尊の伝説があります。
豊顕寺の境内の一角にある、赤門。
赤門(三澤檀林の門)
豊顕寺の境内の一角にある、赤門。
三ツ沢下町へ越してきた50数年前は辺りは傾斜で林であったが住宅が進み大雨が降ると崩落が心配される地域となった!
安寿と厨子王の供養塔
駐車場はありませんが、すぐ近くの船見公園に駐車できます。
この供養塔を知り、旅行の途中で寄らせていただき、手を合わせさせて頂きました。
高名な大日本史が編纂された場所です。
大日本史編纂之地(水戸市三の丸)
2021年12月6日(月)に水戸市の街歩きで訪れた。
高名な大日本史が編纂された場所です。
静かな住宅街の中にひっそりあります。
青塚古墳
静かな住宅街の中にひっそりあります。
古墳の形がなんとなく分かります。
瑞穂2号古墳
チェーンの柵があるだけで多分地元民でも存在することすら知らないと思う。
瑞穂古墳群の一つ。
入り口の案内が見つけにくいです。
和泉式部廟所
平安三女流歌人の一人。
「素行がちょっと・・」と紫式部に評されますが娘の死を機に仏教に傾倒。
神戸電鉄横山駅から徒歩40分。
茶臼山城跡
本丸と南丸の曲輪が残り、緑地公園として整備されていました。
新興住宅街の一角にある公園城。
目立たないところにありました。
青い目の人形
ボーリン橋を山下公園側から渡りきった所に有ります。
日米親善を目的とされた「青い目のお人形」セルロイドではない。
現在は跡碑と解説板が建っています。
坂田寺跡
現在は跡碑と解説板が建っています。
桜が人知れずきれいでした。
江戸時代の遺跡で整備されています。
中山道追分一里塚跡
江戸時代の遺跡で整備されています。
中仙道の道のりの目安。
人様の墓に「つまらない」って何だよ。
大塚山古墳
古墳(円墳)。
人様の墓に「つまらない」って何だよ。
勝興寺の鎮守林の端 説明看板有り。
万葉寺井の跡推定地
万葉歌碑もののふの 八十をとめらが (やそおとめらが) くみ乱ふ (くみまがふ) 寺井の上の 堅香子の花rr万葉集 巻19-4143 万葉百...
勝興寺の鎮守林の端 説明看板有り。
看起來是隔壁這戶人家的裝飾物。
徐福上陸の碑
看起來是隔壁這戶人家的裝飾物。
ほとんど人も通らないような海から少し離れた細い道にあります。
古墳時代の古墳が残っています。
大井公園内古墳
円筒埴輪を伴う円墳とのこと。
誰が見てもこれが古墳だとまず判るまい。
現地案内板より読み方
水縄(みのう)断層。
水縄断層
案内板以外何もない。
どの辺か、説明版の写真でしか分かりませんでした。
ドラクエウォークでレイド出るよ。
平等寺瀬戸遺跡
道が狭いが!
ドラクエウォークでレイド出るよ。
錦木塚
鹿角伝説の場所。
懐かしいです。
谷中村の歴史に興味をもったならばぜひ。
田中正造翁之霊
周辺に案内看板は無いので気付きにくいです。
小学校の教科書にでてきた人だ。
お行の松、正岡子規の文学碑。
正岡子規文学碑(お行の松)
癒されました。
正岡子規がお好きなら。
横穴式石室1基、墳形不明1基からなる。
根曽古墳群
建造物は無に近いレベル。
横穴式石室1基、墳形不明1基からなる。